アートの仕事 in Hollywood

ハリウッド・キャラクターデザイナー片桐裕司による、ハリウッド映画の仕事の話、絵や造形の上達の仕方・プロになりたい人などに役立つ情報を発信しています

最終章:才能なきアーティストたちへ

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なんか偉そうなタイトルにしましたが(笑)

才能なきアーティストとは、かく言う私も含みます。

改めて紹介しますが、私は彫刻セミナーというものを主催しており、今までに何千人もの生徒たちを指導してきました。

多くのアートセミナーは大概、「やり方」を教えるものが多いです。

「やり方」というのは、この様な道具を使って、順番はこうしてとかいったものです。

しかし私の初回のセミナーは、彫刻セミナーといいながら、彫刻道具の使い方や、やり方や順序などはほぼ教えていません。

しかしセミナーに参加すると、みんなそれを教わらずとも出来る様になります。

それは参加した本人たちも驚くわけですが、これはマジックでもなんでもなくちゃんとした理由があるからなのです。

これは、才能も技術力もなかった私が自分自身上達してきたプロセスを分析して考えた、私自身の経験から構築した理論です。

 今回は、その仕組みについて解説したいと思います。

 

1. 創作活動を生み出す仕組み

まず創作活動を一本の木として表現します。

その木には根っこがあり、幹があり、枝葉があります。

 

まず端っこにある枝葉の部分は何かというと、ここは「技術」にあたります。

「技術」というのは、どういう道具を使うかとか、どういう順番でやっていくかと言ったものです。

このシリーズの最初の方で解説しましたが、いくら順番や道具の使い方を学んでも、上手い人と同じ様にはできないのです。

なぜならばそこには「知識」がないからです。

「知識」とは、この形がこうなっているとか、この中にこういう筋肉が入っているかとかいった情報です。

これが木の幹の部分にあたります。

「知識」という幹を基にして、「技術」という枝葉が使えるのです。

いくらうまい人の技術を真似ても、その人の知識を知らなければ、決してその様にできる様にはなりません。

これは創造活動における絶対的な条件です。 

前にも書きましたが、デッサンがめちゃくちゃうまい人でも、造形が全然ダメな人がいます。

hiroshikatagiri.hatenablog.com

それはデッサンの技術という枝葉だけを鍛えて、形がどうなっているかという知識を得る事をあまりしなかったからなのです。

そういう場合は、見たものしか描けなくなるのです。

人の顔の正面を描いていて、じゃあその人が首を傾げて少し横を向いたらどうなるのか? となった時に描けないのです。

いくら描く技術があったとしても、モデルがポーズを変えた時の形を想像できなければ表現することはできないのです。

知識があってこそ、技術が役に立つのです。

技術と知識

これが木の枝と幹になります。

 

単純に上手になるというのは、知識を得る(勉強する)技術を磨く(練習する)の繰り返しによるものです。

ひたすら勉強して繰り返し練習をすれば確実に上手くはなっていくのですが、やらねばやらねばという義務感になってくると、だんだん苦しくなってきます。

誰かにさらわれて閉じ込められて、無理矢理練習をさせられる感じですね。

hiroshikatagiri.hatenablog.com

そうなると、上達スピードが極端に遅くなります。

そして嫌気がさして、繰り返すことが苦痛になるという悪循環に陥ります。

上達しないから、自分には才能がないから努力しても無駄なのではないかと思ったっりしてしまいます。

 

そこでその根っこの部分にさらに重要なものである「心」があるのです。

2. 枝葉や幹よりも大切な根っこ

あれをしなければ、これをしなければという気持ちの代わりに、ああしたい、こうしてみたいというポジティブな自発の心ですね。

つまり自分が何をやりたいのか、何を表現したいのかということです。

それを根底に持って、そのやりたいもののために勉強し、練習するというポジテイブなサイクルを作るのです。

そうすれば続けることができます。

そして続けられれば確実に上達するのです。

↓上記の理由で私自身が大幅に上達するきっかけを掴んだ経験の話です

blog.livedoor.jp

3. バランスの取れた練習を心がける

この連載を通して、「気持ち」「勉強」「練習」の3点のありようと重要性を解説してきました。

 

知識は当然大事なので、勉強しなければいけません。

そして練習をしなければ当然上達はしません。

しかし、一番重要な気持ちが苦しいと、勉強も練習も同時に苦しくなって続けることが困難になってしまうのです。

 

これを読んでくれている皆さんは、本来は創造することが好きなのだと思います。

好きなはずなのに苦しくなってしまう。

そんな時は、気持ち、勉強、練習のバランスが崩れていると思ってください。

そんな悪循環に陥った時の解決策として、これまで書き連ねてきた理論を使ってもらえればと思います。

 

私の主催する彫刻セミナーは、技術力の向上と、見る目を養えるのはもちろんですが、それ以上に大事な、技術と知識を最大限に発揮するための気持ちを大いに高めることができます。

 

何よりもそれが上達への最大の近道なのです。


気持ちが高ぶれば、自信が持てる様になれば、自発的に勉強や練習をすることができるのです。

 

絶対に無理だと諦めていた美術の仕事に就こうと、セミナーの後に一念発起してその夢を叶えたり、すでにプロだけど伸び悩んでいた時に参加して壁を破ることができたり、どこの教室に通っても自信が持てなかったのが、私のセミナーに参加して自信をつけることができたりと、その様な嬉しい話は枚挙にいとまがありません。

 

私自身も価値を感じて全力で臨んでいます。

 

理論も大切ですが、何よりも大切なのは「やる気」を持つことだと思います。

 

その様なきっかけを作る手助けをできることは何よりも幸せなんだなぁと感じてセミナーを続けております。

 

出来ない人ほど、自信がない人ほど早く来たほうが得です。笑

もう少し上達してから参加しようと思ってる人は、とんでもなく人生を損しています。

セミナー後にやる勉強方法と上達速度が明らかに変わるのですから。

 

少しでも興味があれば是非ご参加してもらえればと思います。

 

 

架空の生き物をリアルにするためには

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リアルな架空の生き物をデザインするために必要な事。

それは解剖学です。

でも想像上の生き物だったらそんなものにこだわらなくたって良いじゃんか。

実際存在しないんだから。

と言いたい人もいるかも知れませんが、そんな人たちは前回の記事を読んでもらえればと思います。

1. 解剖学の重要性

解剖学、つまり骨や筋肉の仕組みを知る事は、空想上の生き物を表現する上で非常に重要な要素になります。

例えば人の背中に鷲から切り取った大きな翼をくっつけても、骨や筋肉がどの様に羽の羽ばたきに作用しているかを表現できないと、実際に飛べそうなリアリティは出せないのです。

まさに取ってつけた様に嘘臭く見えるのです。

尻尾の表現でもそうです。

よく私のセミナーで生徒が尻尾を作る時、なんとなく細長いものをつけてるだけということがよくあります。

しかし実際の生き物をちゃんと観察すると、脊椎とそれを囲む筋肉の形がちゃんと見て取れます。

解剖学を意識することにより、形をもっと読み取れる様になるのです。

蛇などでもちゃんと観察すると、脊髄とその周りの筋肉の形がちゃんとあり、体の曲げ方による筋肉の作用もちゃんと見て取れるのです。

胴を輪切りにしても、断面はまん丸ではないのです。

リアリティの表現には解剖学の知識が必要不可欠になり、それ無くしてはリアルに作ることは不可能なのです。

 

しかしながら同時に解剖学にはあまりこだわってはいけません。

2. 解剖学の弊害 

すみません。

とんでもない矛盾を今書きました。

そうなのです。

解剖学にあまりこだわりすぎるのも問題なのです。

これは私自身が陥ってしまった罠でもあります。

 

若い頃人間と解剖学を一生懸命勉強、練習していた時期がありました。

しかし我々の仕事は、人間を作るよりも、クリーチャーやエイリアンなどのキャラクターを作ることが多いのです。

それらを造形する時に、人間の骨格がこうだから、筋肉がこうだからと理屈をこねて作っても、人間の見た目からなかなか離れられなくなり、実につまらないものしかできなくなってしまったのです。

これはコマーシャルアートに生きる我々には致命的なことであります。

面白いものが生み出せないのですから。

ここに知識の弊害というものがあります。

 

知識が増えると、“これはこうだから、こうでなくてはいけない“ という頑固な頭になってしまいがちなんですね。

“こうでなくては“、”こうあるべき“ に囚われて、本来自由であるべき想像力も、自分でリミットをかけてしまうのです。

それが悪化すると、「リアリティは本当はこうなのに、あいつのやってることは間違ってる」とか他者の批判をし出すのです。

3. デザインがカッコ悪ければボツ

テーマがもしも、ドラゴンを解剖学的に検証しよう!とか言うのであればそれでもいいのですが、我々がクリーチャーなどをデザインする時は、映画やテレビに出ると言うのが前提になります。

そうなると、当然リアリティーも大切なのですが、デザインのかっこよさがどうしても必要になります。

いくらリアリティーはこうだと主張しても、カッコ悪かったらボツになるし、人気も出ないのです。

じゃあどうすればいいんだよ! という声があると思うので解説します。

4. ファンタジーキャラのデザインの考え方

架空の生き物をデザインする時は、まずは好き勝手やっていいのです。

頭をもっとデカくしたれ。

手の関節増やしたれ。

アバラをなくして胴体は軟体動物にしたれ。

ケツにツノつけたれ。

肛門を菊ではなく薔薇にしたれ。

などなど

自分がいいと思えるのであればなんでもいいです。

しかしなんでもいいと言っても、自然界(地球の)にはバランスというものが存在します。

ここをデカくしたら、あっちの方もデカくないとバランスが取れないとか、ここを曲げたら、もっとこっちを曲げなきゃバランスがおかしいとかいう感覚があるのです。

それを無視すると非常に不自然になり、リアリティーが出なくなります。

そのバランスを守った上で、好きな様にやってみるのです。

デザインがメインで、解剖学はその次になります。

我々は学者ではないので、“それっぽく” 見えればなんとかなるのです。

だけどもデザインがダサかったら、解剖学がちゃんとしていてもどうにもならないのです。

この優先順位が非常に重要で、解剖学に振り回されるのではなく、自分がやりたいデザインを中心に置いて、解剖学はツールとして使うというのが非常に効率よく、その上苦しさのないやり方です。

※ちなみに化石などから恐竜など古代の生物を再現するというアートも存在します。そちらに関してはデザインのかっこよさよりも、徹底的に解剖学に基づいたリアリティが必要になります。

そこで一句

勉強は すれどもそれに とらわれない。

それがコマーシャルアートの解剖学に対する良いアプローチであると思います。

そしてその結果、カッコよくリアルなものができてくるはずです。

勉強してもそれにとらわれず、”いいデザイン”という目的のために使いこなすのです。

いざとなったら知識を捨てる勇気も必要なのです。

5. 正しい解剖学を求めない

矛盾するようですが、これは非常に重要なことになります。

よく聞かれるのが、架空の生き物を作るとき、”何が正しいのか、何が正解なのかわからない”ということです。

では正解は何か?というと、

正しいファンタジーキャラなど存在しないということです。

どういうことかと言うと、それは実在しないからなのです。

実在しないものに正しい形などないのです。

当たり前といえば当たり前なのですが、多くの人がこれを追い求めて永遠と悩み続けているのです。

作り物である以上、正しい作り物など存在しない。

これが大前提になります。

 

では何を拠り所にして作ればいいのか?

と言うことになりますが、答えを言えば、実際に生きているように見えるのか?ということになります。

今はものすごい量のキャラクターがネットを見れば溢れかえっているので、それらのリアルなキャラを真似てみるのが近道かと思います。

 

もう一つは、どんなキャラにするのかまず自分で決めることです。

何も考えず、なんとなくカッコよくしようとデザインをこねくり回してキャラを作っていくと言うよりも、”力持ちでおっちょこちょい”とか、”力は弱いけどずる賢い” とか最初にしっかりとした設定を決めてみることです。

すでになんとなくイメージが湧いてきたのではないでしょうか?

そしてデザインするキャラが自分の設定通りになるような形を考えるのです。

そして最終的にそのキャラが自分の設定した通りに見えるのか?

それが一つの正解ですね。

外に答えがあるのではなく、答えは自分の中にあるということです。

正解が存在しない以上、自分の中でそれを決めなければいけないのです。

それを繰り返すうちにだんだんとデザインができるようになっていくはずなので、あれこれ悩むより数をこなすのもとにかく大事だということですね。

 

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ファンタジー作品のキャラクターを作るために

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私のことをあまり知らない読者のために解説しますが、私の本業は Special Make up FX Artistと言って、ハリウッド映画に出てくるクリーチャー、エイリアン、恐竜、動物の制作、人間のダミーや、若い役者を老けさせたりモンスターにしたりという特殊メイクなど、多岐にわたる、キャラクターをデザインしたり作ったりする仕事です。

簡単にいうと、作り物を本物の生き物のように見せる仕事です。

今回はリアルな生き物とはどういうものなのかを解説したいと思います。

1. 架空の生き物の作品例

映画で自分が携わった作品の例を挙げると、

パイレーツオブカリビアンー命の泉」で砂浜に横たわる人魚の死体

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「キャビン」の半魚人

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「ロサンゼルス決戦」のエイリアン

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バトルシップ」のエイリアン

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「タイムマシーン」の地底人

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エルム街の悪夢」の殺人鬼フレディー

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「キャプテンマーベル」のエイリアン

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これらはほんの一部ですが、今まで随分と色々な架空の生き物を作ってきました。

実際に存在しない架空の生き物を、本当に生きて存在しているようにするわけです。

作り物を本物に見せるためにはもちろん高度な技術が必要なわけですが、それ以前にリアルなものとはなんなのかがわからないとお話になりません。

プロとしてはそれを研究して勉強しなければいけないのですが、実はリアルかリアルでないかは、なんの勉強もしていないど素人でも分かるのです。

なんとこれがリアルとは何かの謎を解くための重要なキーであるのです。

2. 素人でもリアルかリアルでないか分かる。

作り物の映像などを見て、作り物くさいなぁとか、うわ、本物みたい! と素人でも簡単に判断できるのです。

つまりリアルかそうでないかは誰でもわかるのです。

 

だけどその判断はどこからくるのでしょうか?

 

我々は生まれてから今日まで、いろいろな生き物を見て育ってきました。

自分や兄弟や両親などの人間をはじめ、飼っている犬や猫などの小動物、甲虫やクワガタ、魚や家畜、テレビやネットなどでは自分の身近にいないライオンや象やキリンなど、実に様々な生き物を見てきています。

 

そしてそれらの生き物の見た目や形が無意識に脳内にインプットされているのです。

 

例えば馬を見た時、あ、これは馬だ。と分かるし、像を見た時、あ、これは象だ。と分かるのです。

なぜ分かるのかといえば、当たり前なのですが、馬や象を知っているからです。

そこで誰かが作ったハリボテの馬を見た時、なんとなくの形から馬であるとは判断できるけど、同時にリアルではないとも判断できるのです。

それはなぜかというと、我々は本物の馬を知っているからなのです。

ハリボテの馬は自分が知っている本物の馬と比べて、違うと判断しているのです。

つまりどういうことかというと、作り物を見た時、人は無意識に自分の知っている記憶と比べているのです。

3. リアリティーは無意識の記憶

我々は、意識して知ろうとしていなくても、馬やライオンがどういうものなのかをすでに知っているのです。

例えその出来の悪い馬のハリボテが、惑星ガモスに生息する馬とそっくりで、ガモス星人にとっては超リアルだったとしても、我々地球人にはまったくリアルではないのです。

我々はガモス星の馬を見たことがないのですから。

ファンタジー作品は想像力が大事だと思われがちですが、もちろん大事ではあるのですが、決して好き勝手想像しているわけではありません。

4. 想像力の源

想像力とは何から来るのかというと、我々が今まで蓄積してきた知識の組み合わせです。

だから知識量が乏しければ、想像力も乏しくなるのです。

そしてリアルにするためには、かなりロジカルに考えて自分の知ってる生き物としての存在感を出さないと、リアルになり得ないのです。

それらを見る人たちは、自分たちの知っている地球上の生き物と無意識に比べているのですから。

だから架空の生き物をリアルにするためには、地球に存在する生き物とどこか似ているというのが大前提になります。

次回はリアルにするためにどうしたらいいかをもっと具体的に書こうと思います。

 

↓彫刻セミナー東京一般3月:受付中

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解剖学の勉強方法

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 私の彫刻セミナーに参加する人たちで、解剖学を学んだことがなくて自信がないと言われる人たちが多いのですが、実は私自身もどこかで学んだ訳ではありません。

解剖学を正式に教えている教育機関が存在していると漠然と考えて、そこでちゃんと学ばなければ本当に勉強した事にならないとでも思っているのかもしれませんが、美大などでもちゃんと教えているところはかなり少ない様です。

自分が特別なのではなくて、世の中で解剖学をある程度知ってる人たちはほぼみんな独学と思っていいと思います。

だから正しい解剖学の勉強の仕方なんて存在しません。

その様な前提で、今回は私なりの解剖学の勉強の仕方を紹介したいと思います。

1. 解剖学は本を読むだけでは身に付かない 

勉強といえば、机に座って本を開き、それを一生懸命にメモったり覚えたりする。

そんな印象がありますね。

しかし私は机に座って解剖学の本をじっくり読んだことはほとんどありません。

だけどもそれなりの知識は頭に入っております。

解剖学の知識に関しては、今は本やネットで情報が出回ってるので、どこかで学ばなくても知識を得ることはいくらでもできますね。

知識を得る →  絵や造形の作品に反映する

これが多くの人が思っているであるだろう解剖学の勉強の正しいやり方です。

しかし私を含め私の所属する業界のアーティストは違う勉強方法をしてきました。

それは

絵や造形を始める →  知識を得る

という図式です。

全く反対ですね。

2. 知識を得てから実践ではなく、実践して知識を得る

本を読んだりして闇雲に解剖学を覚えるのではなく、まず作るものがあり、作る過程の中で必要な知識を覚えるというものです。

例えるならば、崖から落ちながら飛行機を組み立てるようなもの。

まずはとりあえず落ちてみる。

落ちてくから落ちないように、あれこれいじってみる。

つまり使いながら知識を得るのです。

自分の作品を作りながら、解剖学の本やモデルを参考にするのです。

 

使いながらの知識が非常に大切で、実践と言う経験に基づく知識なので非常に強いフィードバックで頭に知識が残ります。

これを経験知と呼びます。

 

解剖学を知っていればいずれ役に立つからとりあえず勉強しておこう。

まずは解剖学を勉強してから作品に取り掛かろう。

真っ直ぐ立って両腕を軽く広げた基本ポーズでまず骨や筋肉のつき方を理解しようとする。

このように勉強しても、ほぼ確実に忘れます。

すぐに使わないからです。

それは家で机に座ってバットの振り方を一生懸命頭で覚えてから素振りをするようなものですね。

3. とりあえず制作する事を続ける

今知識などなくてもいいのです。

とりあえず描いてみるなり造ってみることが大事なのです。

描きながら、造りながら解剖学の本を開き、そこにある知識を当てはめてみる。

作品のリアリティを増すために、制作しながら知識を得ていけばいいのです。

ニュートラルなポーズの解剖学の本や模型を見て、この筋肉のつき方で、右腕がこう上がったらどうなるかを考えながら作品に反映させます。

そうすると知識を覚えるだけでなく、同時に知識を使うという経験もするので、確実に身になると同時に、知識の応用力もついていきます。

最初にできるものは酷いものかもしれません。

それでもいいのです。

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いきなり完璧なものなどできるわけがないのです。知識が圧倒的に足りないのですから。笑

しかし次に作る作品は前よりも必ず良くなるはずです。

それは前回身につけた知識をもう少し使えるようになっているからです。

 

その様にして制作しながら本を見て確かめるという数をこなしているうちに、自然と知識は増えてきます。

さらにどんどん繰り返していくうちに、頭の中の知識が強化されていくのです。

制作を重ねるごとに表現力は上がっていくので、とにかく続ける事が重要です。

4. 中身を知り、表面を観る

筋肉を勉強して、どの筋肉がどの骨のどこについているかを知ることによって、人がどんなポーズをとった時でも、筋肉の変化を予測して表現することができるようになっていきます。

とことんリアリティを追求したいのであれば、そのような個々の筋肉のつき方という膨大な情報が必要になってきます。

それは非常に重要で必要不可欠な知識なのですが、私を含め、解剖学を勉強した時に陥ってしまう罠があります。

それは、個々の筋肉を表現しようとしすぎて筋肉お化けになってしまう傾向があるということです。

解剖学の本のように、実際の筋肉はそこまで整った形はしていないし、その上に脂肪や皮膚がのっているので、そこまで筋肉の個々の形が表面に全て反映されているわけではないのです。

 

解剖学の本を見て筋肉の形とついている場所を知る事は大切ですが、それがどのように表面に現れるのか、実際の人を観察する事がそれ以上に大切になるのです。 

中身がどうなっているかの知識を持って、表面を見る。

個々の筋肉の形をどう自分なりにまとめるか。

この辺りのさじ加減が非常に難しいのですが、これは経験を重ねていくしかありませんね。

5. 正しい解剖学に囚われない

矛盾するようですが、解剖学を勉強する弊害は正しくしようとしてしまう事です。

なぜなら完璧な解剖学の形というものは存在しないからです。

よく聞かれるのが、”これは正しい形なのか?” という質問です。

100人人間がいれば、100通りの体型があり、これこそが正しい体型、正しい筋肉だというものはありません。

明らかに不自然であれば直した方がいいですが、正しい形をいくら追い求めても、そんなものは存在しないので、自分がやりたい感じで出来たのならば、そこでよしとするといいでしょう。

正しい筋肉のつき方はこうだから、こうしなければいけない。と思ってしまわないこと。

これは我々コマーシャルアートの世界で生きる者にとっては非常に重要なことで、いくらリアリティを追求し、正しさを追い求めたところで、それがかっこよくなければ、美しくなければ人々には受け入れられないのです。

正しい骨や筋肉はこうだからこうしなければいけない。こうでなければいけないという考え方は、自分の心を萎縮させてだんだん苦しくなっていきます。

そして何より魅力あるものを産み出せなくなってしまうのです。

解剖学的知識はあくまでも道具であり、その道具に振り回されてはいけないのです。

↓関連記事

何を表現したいのか?が根本にあって、その表現を助けるための解剖学です。

あなたの気持ちを根本にして、解剖学はあくまでもあなたの道具として使うべきなのです。

解剖学はあくまでもツールである。

解剖学を根本にして、”正しい解剖学はこうだから、この形はこうでなきゃいけない” に囚われてあなたの作品の魅力を潰さないようにしましょう。

6. 解剖学は立体を造って覚える

そして一番効率の良い勉強方法は、二次元でなく、実際に立体で筋肉を作る事です。

筋肉が骨に向かっていく立体的な奥行きとか、筋肉が他の筋肉に重なる立体的な角度とか、本に載ってる2次元の筋肉図を見ただけで理解するのはまず不可能です。

私のセミナーにも多くの2Dアーティストが参加しておりますが、皆一様に、立体はわかりやすいと口を揃えて言います。

 解剖学を教えている美大の先生でも、絵だけではピンと来なかったある筋肉のつき方を、造形した事により理解出来たとのことです。

頭でわかっているのと、実感としてわかるのでは大きな違いなのです。

筋肉の構造を深くを覚えたいのなら実際に立体を見て、実際に作ってみる事が一番の近道です。

立体で覚えてみたら、必ず絵などの2次元にも確実に反映できる事でしょう。

7. 筋肉よりも構造

ここまで解剖学のことを書いておいてなんですが、人体表現の上で、筋肉よりももっと重要なことがあります。

それは構造です。

私のフィギュア指導経験の話です。

私の主催する彫刻セミナーでは、初めは胸像しか指導しておりませんでした。

それが参加者たちの、フィギュア(全身)を学びたいという多くの声のもとフィギュアクラスを開催したところ、これがまぁ受講生たちのあまりの出来の悪さに衝撃を受けたのでした。笑

中にはCGモデリングや造形のプロもいたのに、ここまで人体をわかっていなかったのか!と、とてつもない衝撃だったのでした。

知識量の不足が原因であったため、次からはヌードモデルを雇うことにしました。

人の形をよくわかっていない状態で作るのと、見本が目の前にあるのとでは雲泥の差で、当然結果はよくなったのですが、それでもまだ出来はひどいものでした。

理由を考えたところ、人は筋肉を見ると筋肉を造ってしまうという、当たり前のように聞こえることが弊害になってしまっていたからでした。

解剖学を意識すること、筋肉を意識することが、人体を制作する上で邪魔になってしまっていたのです。

意識してはいけないのではなくて、それを意識するあまり人体の全体構造が見えなくなってしまうんですね。

そこでさらに考えてたどり着いたクラスが、クイックフィギュアクラスというものでした。

それは1日で人体を4−5体、それを3日間続けるという過酷なクラスで、彫刻ブートキャンプとも呼ばれています。笑

筋肉をじっくり作る暇を与えないことにより、細かいことをせずに強制的に全体の形を取れるようになる仕組みです。

これが大当たりで、参加者の3日での成長はすごいものとなりました。

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解剖学は非常に大事なのですが、それに囚われて全体を見失わないようにしなければいけないのです。

それはもう訓練していくしかありませんね。

順序立てて勉強するのも大切だと言えます。

 

最後は自分のセミナーの宣伝になってしまいましたが、セミナーでの指導を通じて自分が得た、解剖学に関して非常に重要な考えのシェアなのでご容赦ください。

chokokuseminar.com

普段から出来る人間の顔の勉強方法

本を読まないと勉強できない。

絵を描いたり造形しないと成長できない。

そう思ってはいませんか?

もちろんそのように実践するする必要はありますが、上達方法はそれだけではありません。

毎日いつでもできるのです。

皆さんはどれくらい電車やバスに乗る機会があるでしょうか?

最近はコロナの影響でだいぶ減ってしまったとは思いますが、人が密集して集まっている状況というのは勉強のチャンスなのです。

1. 人をよく観察する

私がよくしていた(今でもしている)事は、電車で立っている時、目の前に座っている人をめちゃくちゃ観察することです。笑

特に人の顔を上から見たらどうなっているのかをありありとイメージできる人は少ないのではないかと思います。普段滅多に見ることがないからです。

イメージが浮かばなかったら見ればいい

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とても単純なことです。

そうやって観察していると、実にいろいろなことに気づくことができます。

本当に様々な顔があるし、正面から見るだけでは決して想像もできない奥行きも見れます。

しかしいくら見たからと言って、その形を覚えられるのかというと、そんな簡単にいくものではありません。

覚えるためにはもう一工夫必要になります。

2. 形をなぞって記憶する

私が若い頃行っていた訓練方法は、人の顔を見た時、例えば鼻の横の斜面とほっぺたのふくらみなどを観察し、それから目をそらすか目をつぶるかして頭の中で造形してみるのです。

最初の頃は頭の中で、今見た構造を追うことができませんでした。

なぜかというと、自分の頭の中に人の形の立体の詳細がインプットされていなかったからなのです。

人の顔には大体の法則があり、個人差はあれどもそこまで大きく違うものではありません。

その基準を逸脱するといわゆる奇形といったものになってしまうので、普通の人であれば、人の顔には大まかな法則があります。

それを立体的に理解できてるか否かで、自分が生み出すものに大きな差が出ます。

造形だけでなく、絵を描く時に頭の中に立体図ができてると画力も格段と上がるのです。

自分の知識をテストするのに、この観察後に頭の中で造形するというのは非常に分かりやすい方法です。

その知識というのは、筋肉がこうなってて骨がここにあってとかいう解剖学的な理屈ではありません。

最終形がこういう形になっているという認識。
つまりその形を実際に作れるという、実践できる知識のことです。

厳しく言いますが、どんなに美術や解剖学の本を読んで納得して知識を得たとしても、その形を再現できないのなら使えない知識です。

理屈を聞いたときに「そんなの知ってるよ」と短絡的に思ってしまうことは実に危険なことなのですね。

知っていても再現できなければ本当に知っていることにはならないのです。

それが出来るようになるまでアウトプットを続けていけば、だんだんと頭の中の立体図は精巧になっていきます。

見るだけではまず忘れてしまいます。

だけど見たものを表現するというプロセスを得ることによりインプットが強化されていくのです。

見たもの(インプットしたもの)を頭の中で再現(アウトプット)する

必ずしも絵を描いたり造形したりせずとも、成長は可能なのです。

人と話をしているときも同様のことができます。
話を聞いているフリも上達させるべきなのです!(力説)

 

昔アートスクールで造形を教えていた時、そのクラスにはモデルがいて、皆でそのモデルを見ながら造形するのですが、皆同じモデルを造形しているにもかかわらず、作っているものが、それぞれ作っている本人に似てしまうのです。

なぜなんだろうと考えたところ、人は油断すると、自分の頭の中の思い込みを出してしまうのだということに気づきました。

つまり皆、顔とはこうなんだという定義があり、それは何より自分の顔が基準なんだという事なのです。

世の中で一番見ている顔は、毎日鏡で見ている自分なのです。

無意識にインプットしていたのですね。

インプットが多ければ、記憶に刻み込まれるのです。

色々な人を観察することでインプットし、頭の中でや実際に造形してアウトプットしていき、

数による経験で、人の顔の形の情報は強化されていきます。

3. とにかくインプット・アウトプットを繰り返す

絵を描くなり造形するなりアウトプットする機会があればそれをし、無理であれば頭の中で再現するだけでも大きな成長になるのです。

外に出れば毎日でも出来る事なので、通勤通学の際や、人と話してる最中など、人と会ってる機会を逃さずに勉強できれば確実に能力が上がるので、普段から観察する癖をつけるといいですね。

そしてそれだけではなく、映画やドラマを見ている最中にも登場人物の観察はできます。
もちろん物語に集中できる保証はありませんが、、、

 

ちなみに絵の上達も、立体を理解することにより格段とできるので、レベルアップを図るなら立体造形してみることをお勧めします。

 

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効率的な上達方法

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これまでは上達するための【考え方】に重点を置いて書いてきました。

ここからは、どのように勉強すればいいのか【やり方】を書いていきたいと思います。

私が職業柄メインでクリエイトしているのは、エイリアンやクリーチャーなどの架空の生き物ですが、時折人間のダミーなどを作る機会もあるので、造形物が本物の人間に見えるレベルまで造形しています。

私のセミナーでも人間を学びたいという人が多く参加しているというのもあり、上達方法は人間編と、クリーチャー・キャラクター編に分けて解説したいと思います。

上達法:人間編

今まで私の『彫刻セミナー』では2000人近くの受講者を指導してきました。

これだけの人数をみていると、多くの人が陥りがちな間違いや勘違い、そして上達を阻んでいる誤った見方、考え方など、多くのことに気付く事ができました。

それを踏まえた上で改良を重ねながら実施しているクラスに、『クイック造形クラス』というのがありまして、これが非常に大きな効果をあげています。

フィギュアと顔の2種類のクイック造形クラスがあるのですが、これがどういうものかというと、顔の造形、もしくはフィギュアの造形を1日4体くらい作るクラスです。

多くの人は、そんなことできるのか? と最初は思うのですが、出来る出来ないに関係なくまずやってみるのです。

というよりやらざろうえない状況に追い込みます。(笑) 

 

1. 大雑把に捉える 

まずは人間の構造の大雑把な形をレクチャーします。 

この『大雑把』というのが非常に重要で、
大概の初心者は、顔であれば目と鼻と口に注目してしまい、フィギュアであれば筋肉に注目してしまいます。

ものすごく当たり前に聞こえるのですが、実は目と鼻と口を見ようとする事、筋肉を見ようとする事がいいものを作る妨げになっているのです。

どういうことでしょうか?

下の写真をみてください。

これが誰だかわかりますか?

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正解はトムクルーズアントニオ猪木です。

彼らを知っているのであれば、ほとんどの人が答えられたと思います。

 

ここで考えて欲しいのですが、なぜこれを彼らとわかったのでしょうか?

目や鼻や口の形なんてまともに見えません。

ちゃんと見えていないのに誰だかわかるのです。

 

これはこの人達が出している『雰囲気』によるものです。

そして我々は、その『雰囲気』に対する、その人の『印象』を持っているのです。

 

2. 雰囲気・印象を読み取る

それはどういうことなのでしょうか?

例えば目を瞑って、身近な人の顔を思い出してみてください。

恋人でも推してるアイドルでも親でも誰でもいいです。

はっきりとした形はわからないまでも、なんとなくの顔が浮かびますよね?

なんとなくこんな髪型、なんとなくこんな目と口、なんとなくこんな輪郭。

といったように、『なんとなく』ではありますが思い出せるのです。

 

これがあなたの持つ、その人に対する『印象』です。

この人はこういう顔なんだ、という印象を持っているのです。

 

言い方を変えると、あなたはこの人の顔を『認識』しているということになります。

『認識』は、ただ見えるということと違います。

 

認識できているので、その人に会ったときに、あなた誰だっけ? とならないのです。

その人の顔を見て、その人だとわかるのですから。

 

3. バランスをとる

まずは目や鼻や口を細かくする前に、全体のなんとなくのバランスを捉えます。

このバランスが、当たり前ですが最も重要なことです。

繰り返します。

バランスが最も重要なことです。

いくら目や鼻や口をリアルに出来ても、バランス的な位置や大きさが間違っていたら本人にならないのですから。

それを、その人の印象を意識しながら行います。

 

この人はこんな感じの顔だ、笑う時の目が三日月目、口がいやらしい、ほっぺの丸みがキュートだ、顎がこんな風に尖ってる、メチャ垂れ目、鼻が広がってる、などなど、その人の印象を言葉にして、みたままというより、印象を意識するのです。

 

これはデッサンなどをきちっとやってきた人たちからは反感を買うかも知れません。

デッサンは見たまま、ありのままを正確に表現する練習なのですから。

それらはもちろん技術として持っていた方が良いものなのですが、
私のこの印象を捉えるという考え方は、コマーシャルアートのプロとして仕事をしてきて培ってきたものです。
というのも、ありのままに、自分の気持ちを込めずに見たままを描いたり作ったりしても、現代はCG技術の発展により、写真をそのまま絵にできたりスキャンして立体にできたりしてしまいます。

いくらありのままを表現しようとしても、絶対に写真やスキャンの正確さには叶わないのです。

機械的に出来ることであれば、それができてもどんどん淘汰されてしまいます。

だから自分の持った印象を意識して表現することは機械との差別化を図る上で、そしてプロとして生き残る上で大切な要素になっていると信じています。

 

4. 時間をかけない

話は少しそれましたが、印象を意識してその人の顔の全体のバランスを捉える。

それを、絵であれば15分くらい。

造形であれば、最初は1時間半くらいを目安に行います。

最初は酷い物が出来るかもしれませんが、それでも時間が来たら強制的に終了します。

そして新たにまた行います。

時間内にある程度雰囲気を出せるようになるためには、細かい所に時間をかけてはできないという事がわかってきます。

上手くできない人のほとんどの原因が、全体の形ができていないのに細かくしてしまう事なのです。

これを強制的に制作時間を短縮する事によって、細かくできなくしてしまうのです。

もちろん私のような人が見てくれるのが好ましいのですが(笑)、一人で練習していても、多少時間はかかりますが、同じ間違いを何度も繰り返していけばいい加減その事に気づくのです。

それを、一つの作品にずーーーっと時間をかけて、ひたすら修正することを繰り返してしまうと、次に作るときに最初の形を取る段階で、前回は何を間違っていたのか忘れてしまい、その分成長が遅れるのです。

4. なんとなくの雰囲気を捉えながら数をこなす

最初の段階では仕上げようとしなくても全く問題ありません。

むしろ仕上げない方が良いくらいです。

とにかくひたすら全体の形をとる訓練をします。

 

何よりも大切なのはバランスです。

プロポーションと強弱。

影の強さは形の奥行きとも関係があり、強弱もプロポーションの一要素であるとも言えます。

兎にも角にもプロポーションが捉えられるようにしていきます。

 

それから大事なのは数です。

数をこなさなければ上達はありません。

やればやるほど腕が上がる事を自覚して励むと良いです。

ただし、初期の記事で書いたように、何も考えず闇雲に数をこなしてもいけません。

毎回プロポーションを意識しながら、考えながら数をこなすのです。

どんなに綺麗な影を描くことよりも、どんなにリアルなシワを作ることよりも、どんなに魅力的な目にすることよりも、配置、すなわちプロポーションをキチッととることです。

プロポーションが間違っていれば、上記のものがどんなに良くてもちゃんとならないのです。

一番大事なことはプロポーション
何よりもそれがちゃんとできるようにすること。

そしてプロポーションをとりながら意識することは、前に書いた、
“雰囲気を捉える” ということです。

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なんとなくの形を捉えながら、その人のなんとなくの雰囲気を出してみる。

目全体が上向きなのか下向きなのか、なんとなくにやけてほっぺたが膨らんでるのか、少しげっそりしてるのか。

面長なのか、丸っこいのか、顎がシャープなのか。

額は広いのか狭いのか。

なんとなくの特徴は誰もがあるはずです。

それをなんとなく捉えていくのです。

唇のラインやまぶたや鼻翼の形など詳しく見てはいけません。

例えば顔にストッキングをすっぽり被せたような状態をみるのです。

 

それが顔のボリューム感なので、それがなんとなくできていなければ、どんなにリアルな目や鼻や口をつけてもしっくりこないのです。

はっきりと見ない目を養うために、繰り返し練習してみましょう。

矛盾に感じるかもしれませんが、上手な人は、はっきり見えなくする目を訓練によって持っているのです。

最初の方で紹介したボカした画像をボカしてない画像から読み取る目です。

ちなみによく使われている方法は、目を細めて見るやり方です。

そうすれば細かいものが見えなくなり、大雑把な塊がなんとなく見えます。

それを活用するといいですね。

 

とにかく常に全体を見て作っていく目とやり方を数をこなしながら養っていきましょう。

まずは短期間、短時間で数をこなす。

これがその後の成長のスピードを飛躍的なものにできるのです。

 

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自信を継続させるには

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前回のお話

本当の自信というのは今の自分をそのまま広げていくことでしか出来ません。
他者から褒められたり賞をもらったりといった、外的要因で与えられるのではなく、自分自身の今の実力を認めることにより芽生えるのです。
つまり今この瞬間に自信を持つことができる。
自信とは自身なのです。 

それが実感できると、気持ちが非常に楽になります。

そして楽な状態で勉強や練習をすると、驚くほど伸びが違うのです。

まずは卑屈にならずに、そして傲慢にならずに、今の自分のレベルを素直に認めてみましょう。

育ってきた自信をキープさせるために 

1. 根拠のない自信を持つ

前回も書きましたが、これは出来るようになるためには非常に重要な事なのですが、使い方を誤ると逆に自信を失うことになってしまいます。

自分は出来ると信じる。自分を信じる。

それは見方を変えるとこういうことになります。

スライム(ザコ)を5−6匹倒してレベル2になったくらいで、俺はもう竜王(ラスボス)を倒せると思い込む。

 ※参考資料ードラゴンクエスト

しかし実際には竜王どころかドラキーすらも倒すことが危ういわけです。

かといって、自分が竜王なんか倒せるわけがないと思ってしまうと、今戦っても無駄だと思ってしまうようになるでしょう。

だから自分はできる。竜王を倒せる。 と思いこむことは大事なのです。

矛盾ですね。笑

そこで一言付け加えてみましょう。

 

自分はいつかは竜王を倒せる。と思うのです。
自分はいつかは出来るようになる。です。

つまり自分に自信を持つ、自分を信じるというのは、自分は出来る!と闇雲に思い込むのではなく、行動していればそのうち自分はもっと出来るようになる!としたほうがいいのです。

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(いつかは終わる!と信じなければやってられなかったドラゴンボールエボリューションの仕事)

いつかは竜王を倒せることを信じながら、目の前のスライムを一生懸命倒すのです。

スライムとの戦いを避けながら竜王の居城など目指したら確実に死ぬのです。

そうやって戦いを繰り返していくうちにドラキーが倒せるようになり、魔道士も鎧の騎士も倒せるようになっていくのです。

時々死んだり、ゴールドを全部失ったり復活の呪文を書き間違えたとしても、根底にいつか竜王を倒せるという思い、
つまり根拠のない自信があれば、また頑張れるのです。

とにかく今目の前の課題、目の前の敵を倒していけばいいのです。

魔道士との戦いで死んだとしても、
俺は本来は竜王を倒せるはずなのにと落ち込むのではなく、
とりあえず目の前を見て、まずは魔道士を倒せるようになろうでいいのです。

そうやって少しずつ強くなっていけば、いつの間にか竜王を倒す実力がついているのです。

大事な事

今をみて、今の自分を認めること。
そして今できる課題に集中して、努力を続けること。

2.上手い人と比べる事の傲慢

この人はこんなに上手いのに自分なんて、、、

こう思って落ち込んで自信をなくしてしまう事は往々にしてあります。

例えて言えばそれは、空手を初めて6ヶ月くらいになって、全国大会や世界大会で優勝してる人たちを見て、なんで自分はこんなに弱いんだ。

と思う様な事で、上手い人がそこに至るまでの血の滲む様な努力を無視して、その結果だけを自分の今と比べている。

卑屈なように見えて、実は、心の奥底に、上手い人と自分を同じ土俵に上げてる傲慢さがあるのです。

 

だけども諦めて自分の今の実力を素直に認めることができれば、心はとっても楽になるのです。

 

これはもちろんギブアップという意味の諦めではなく、自分を明らかに観るという本当の意味での諦めなのです。

当たり前ですが、根底に、いつかは必ず上手くなるという信念を持ちながら、
今自分ができることをひたすら積み重ねていくことが大事なのです。

3. 極めようとしない

絵や造形を極めたい。
デッサンを極めたい。
Zbrush(立体造形CGソフト)を極めたい。

そんな決心を時々聞くことがあります。

あそこまで極めれば自分に自信が持てるようになる。と思う最高の到達点ですね。

すごいことだとは思うのですが、そうなったら自信を持てるようになるわけではありません。

なぜなら極めることなんて不可能だからです。

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富士山が一番高い山だと思って登ってたら、世界にはエベレストがあった。

今度はエベレストを登ってたら、火星にはその3倍の高さのオリンポス山があった。

そして太陽系の外にはもっと高い山も存在することでしょう。

 

極めるというのはそんなようなものです。
キリがありません。

 

極める事をゴールにしてしまうと、もっと高い山があると気づいた時にまた自信を失ってしまうのです。

 

だからと言って、極めようとすることが無駄だなんてこともありません。

 

上に登ることを目指して、ただひたすら足元を見ながら登っていけばいつの間にやらこんな高いところに来ていた。

こんな感覚の繰り返しが大事なのです。

 

それをよく見えない遥か高い山の頂上を見てしまうものだから、目の前の一歩を出すのが苦しくなるのです。

上達は、今の自分より上に行くということの単なる繰り返しであり、到達点などありません。
今の自分が認知できる頂上は、上に行けば行くほどもっと高くなることに気づくのです。

どんなに出来るようになっても、頂上があると思ってしまうと、それと比べてしまって今の自分に自信を持てなくなってしまうのです。そこまでの遠さを想像するだけで苦しくなってしまうのです。

だから極めようなんて思わない方がいいのです。

頂上はないので、そこにたどり着くことを目標にするのではなく、ただひたすら昨日の自分よりよくなろうと、今できることを全力でやりながら上がっていけばいいのです。

そうすればいつでも自分実力を明らかに捉えて、確実に上達ができ、今のレベルでも自信が持てるのです。

 

繰り返しますが、出来ようが出来まいが、今の自分の実力を明らかにして、自分を認めることが一番大事なのです。

 

出来ないイコールダメだとは決して思わず、出来ないのが今の自分の実力だと素直に認めればいいのです。

そうすれば次の一歩を確実に踏み出せるのです。

出来なくてもいいのですよ。

なぜなら一歩踏み出すことを繰り返せば確実にできるようになっていく事は保証されているのですから。
大事なのは積み重ねなのです。

4. 極める=自信 ではない

そしてもう一つ注意しなければいけない事は、自分は極めたと思う事が自信を持つことではないという事です。

極めたと思うことは、
もっと高い山があるのを認めず、自分の成長をやめてしまうことなのです。

極めるというと遥か遠いことに思われるかもしれませんが、そうでもないのです。

身近な「極めた」という感覚は、“そんなこと知ってるよ” という感覚です。

何事も勉強すればするほど、上達すればするほど知識は深くなっていきます。

例えば目の形はこうだと思って、ある程度できるようになる。

そこで、目の形はこうなんだとわかってる気持ちになってしまうんですね。

ところがさらに勉強・修練を重ねると、それまでは見えなかったことに気づいたりします。

知識は深くなっていくのです。

それを、目の形なんて知ってるよと決めつけてしまうと、そこで新たなことに気づくことを自分でブロックしてしまうのです。

非常に勿体無いことです。

私自身も30年近く造形を続けて、多くの人たちに偉そうの教えたりもしていますが、今だに新たな発見があります。

自分は造形を極めたなんて思ってしまったら、発見を出来なくなってしまうのです。

はっきりと断言しますが、どんなに努力を重ねても、真に極めるということはありません。

技を極めたと思ってピッコロを倒しても、その先にはフリーザがいて、更にはセルやブウまでいるのです。

人生は常に発展途上なのです。
やり続ける限りは上っていけるのです。
そして到達点などありません。
すべての出来事は通過点なのです。

そして上に進んでいくうちにいろいろな分かれ道に遭います。

その都度様々な選択をして進んでいくと、数年前は考えられなかった選択肢が出てきたりします。

1年先自分が何をやってるかなんて誰にもわかりません。
それだったら今一生懸命上達する努力を今すればいいのです。

 慢心せず、そして卑屈にならず、今の自分を認めていれば必ず上達していきます。
それでいいのです。

何年も先に進んでる人と同じ土俵で比べず、自分が常に上達し続ける状態をキープすればいつの間にか上手くなってるのです。
積み重ねの実績で自信の強さが上がっていくのです。

5. 続けるために工夫する

続けていけば上達するのであれば、続けられる環境を工夫するのです。

朝起きてからクタクタになって寝るまで、誰かに働かされているというのであれば、時間を作るのは難しいでしょうが、どんなに忙しくても工夫次第で練習時間を作る事は可能です。

毎日1−2時間でも捻出できれば、半年後にはずいぶんと変わるはずです。

時間の作り方とかの本はいっぱい出ているので調べてみるといいでしょう。

それを信じながら、正しい練習を平常心でできるといいですね。

ありきたりな言葉ですが、継続は力なりです。

30年近く映画の特殊造形業界に携わってみて確信しています。

続けることをやめないことです。

 

↓上達への最短距離を進めます

自信をつける方法

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自信をつけたい。
自信が持てる様になりたい。

私の彫刻セミナーではこの様な思いを持って参加する人たちが数多くいます。

それほど自信をつけるのは難しいことだと思われています。

ところがどっこい自信をつけることはそれほど難しいことではないのです。

今回は【どうやったら自信がつくのか】を解説していきたいと思います。

1. 自信を持つ事の間違い

まずは多くの人が考えている自信の勘違いを説明したいと思います。

自信を持ってすると良い

こういう言葉をよく聞きますね?

本当にデキる人であればその通りやって差し支えありませんが、レベルの低い人、全然できない人たちが「やれば出来るんだ」と自信を持ってやったとしても実は逆効果になってしまいます。

どういうことでしょうか?

もし自信のない人や実力が低い人が自信を持って臨む場合、それはレベル2の実力の人が、レベル20のものができると思い込むという場合が多いのです。

 

ホイミすら使えないのに竜王を倒せると思い込むようなものですね。

はい。すみません。初代ドラクエ世代です。

 

結果は当然、死にます。笑 

ラスボスである竜王と戦うどころか、そこまで辿り着けもしません。

 

3−4回挑戦しても結果は同じです。

 

そしてどうなるかというと、自信を持ってやったはずなのに、持っていた自信を失って余計落ち込んでしまうのです。

典型的なパターンです。

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結果として自信を失ったわけですが、では果たして最初に持っていた自信というのは本当に自信と呼べるものだったのでしょうか?

 

少し違う気がしますね?

 

スライムを数体倒してレベル2になってすぐに、俺は竜王を倒せる! と思っているようなものですから。

 

これは勇気でも自信でもなんでもなくて、ただの愚か者です。

自分は出来るという根拠のない自信を持つことの意味を勘違いしています。

 

それから出来ないけれど自信を持つ。
というパターンの他に、
出来ないから自信がない、自信が持てないという人もいます。

まぁこれが普通なんですが。

2. 自信が持てない

これはあなたは冒険を始めてスライムを数体倒してたら、どこかの勇者が竜王を倒してしまいました。
それをみて、あの勇者は竜王すら倒せるのに自分はスライムを倒すのがやっと、、、 

自分なんかダメな人間だ!

 

と思ってしまう様なものなんですね。

 

しかし竜王を倒した勇者というのは、冒険を始めて城を出てすぐ竜王を倒せるようになったわけではないのです。

 

スライムと戦うことからはじめ、何百匹の魔物を倒してレベルを上げ、少しずつ溜まったゴールドで武器や防具を買い、時には傷つき、時には死んで怒られて、復活の呪文を間違えて挫折したり、ローラ姫を救った帰りに宿屋に泊まっていい思いをしたりして、いろいろな経験や挫折をしてようやく竜王を倒してるんです。

だけど多くの人は、あの勇者は竜王を倒したという今現在の結果だけしか見ずに、そこに至るまでのプロセスを無視して、あの人は生まれた時から勇者だったから、と決めつけて、今の自分の実力と比べて自信を失ってしまうのですね。

非常にもったいないことです。

絵や造形がどんなに上手い人でも、上手くなったのはそこに至るまでの積み重ねの結果であって、10年前からそこまで上手かったわけではないのです。

そのプロセスを見ずに、結果だけを見て判断し、あの人は自分とは違って特別なんだと思い込み自信を失ってしまう。 

自信を持てない、自信を失うというのは全て自分の考え方に原因があるのであり、決して今の自分が、出来ないからではないのです。

よくあるパターン

この人に認められたら自信が持てる。
この賞を取れたら自信が持てる。
これができるようになったら自信が持てる。

このように考える人が大勢います。

 

卑屈で、自分に自信が持てない人はこのように考えて、結果そうなって自信を持ったとしても、ちょっとしたきっかけでまた自信を失ってしまったりします。

憧れの人が褒めてくれて自信がついたけど、他の人に批判された。
あの賞を取って自信がついたけど、翌年もっとすごい人が賞をとった。
これができるようになって自信がついたけど、もっと上手い人の作品をみた。

理由は様々ですが、
「今は自信がないけど、こうなったら自信が持てる」と思ってる人は、自分の体が悪いときに、痛み止めを飲めば体が良くなると思うようなものです。

飲んだときは自分の体が悪いのをしばし忘れることができますが、根本の治療にはなっていません。

一時凌ぎの薬が切れたらまた痛み出します。

Twitterリツイートの数や、賞を取ることや、誰かに認められることとか、
自分でなく相手の反応という外的要因を自分の自信の拠り所にしていては、外界が変化するたび自分の気持ちが右往左往してしまいます。

 生前のゴッホの絵なんてほとんど認められていなかったのですから、世間の反応を自信のよりどころとしていたのなら死ぬまで自信を持つことができないという悲惨極まりないこともあり得ますね。

周りの反応に対して得られる様な自信。

それは本当の自信とは言えません。

3. 自信は今すぐに持てる 

しかし自信というのは驚くことに、今この瞬間から持つことが可能なのです。

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賞なんて取らずに
誰かに褒められずに
まだ大したことができなくても自信は持てるのです。

そんな上手い話があるわけないじゃんと思われるかもしれませんが、本当なんです。

今からとっておきの方法を教えます。

 

私から自信の壺(60万円)か、パワーのあるコンフィデンストーン(38万円)を買って家に置いておけばいいのです。

それだけで簡単にに自信が持てます。

 

嘘です。ごめんなさい。

 

では壺や石を持たずにどうやって自信を持つことができるのでしょうか?

 

それは、、、

 

 

諦める】のです。

 

え? お前何言ってんだ? 自信を持つことを諦めたら自信なんて持てないじゃないか?

これは詐欺か? 詐欺なんか? やっぱり壺や石を買わされるのか?

 

と思われるかもしれませんが、決してそんなことはありません。

 

ここで “諦める” ことの本当の意味を解説します。

4. 自信を持つために諦める

諦めるとは、放棄するとかギブアップするという意味と捉えてマイナスイメージがあると思いますが、実はもともと仏教の諦観という言葉から来ています。

 

諦観とは、明らかに観るという意味です。

本来は、物事を明らかにする。真実を捉える。という意味なのです。

 

それが諦めるという言葉になったのですが、本来の意味は決してネガティブな言葉ではないのです。

 

そして諦めることが自信を持つこととどうつながるのでしょうか?

 

自信を持つためには、まずは自分を諦める。つまり明らかに見てみるのです。

自信を失うサイクル

自信を持ってイラスト、造形、モデリングなどをする

思ってたよりうまくいかない

落ち込む

もっと頑張ってみたらもう少しいい物ができる

ネットに溢れてるめちゃすごい人たちの作品と比べて落ち込む。

やっぱり自分はダメなんだ。才能なんてないんだ。と自信を失ってしまう。

でも好きだからもう少し続けてみる。

だけど思うようにいかない。

再びネットに溢れてるめちゃすごい人たちの作品と比べる。

落ち込んでさらに自信を失う。

こんなサイクルでずっと自信が持てない。

そういう人は非常に多いと思います。

何をやっても自信が持てない。
自分は出来る様になる気がしない。

そうなった時どうすればいいのでしょうか?

 

そうです。諦めるのです。

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もう一度 ”諦める” の本当の意味を思い出してみましょう。

物事を明らかにする。真実を捉える。でしたよね?

 

自信を失うサイクルで、

思ってたよりうまくいかない

落ち込む

というのがありましたね?

ではこの 「思ってた」というのは何なのでしょうか?

 

「自分はこれくらい出来るはずだ!」
  もしくは
「これくらい出来なきゃいけない」 

ということではないでしょうか?
 

その「思い」という【理想】と、結果として出てくる「今の自分の実力」という【現実】
その理想と現実のギャップで落ち込むのです。

つまりそれは自分を諦めていないのです。
自分の本当の実力を見ていないという事なのです。

自信をつけるために
「自分は出来る!」
と無理に思いこむことが逆に自分を苦しめているのです。

そうなんです。
実力が足りてなければ出来るわけないのです。

当たり前なんです。

 

自分が思う【理想】と現実の【実力】とのギャップ。

これを明らかにして観るのです。

5. 今の自分を認める

今の自分を明らかにして観るという事は、まだまだ出来ていないという今の自分の実力を認めるということです。

自分はまだこんなもんなのだという事実を認めるのです。

 

あの山まで行ければ自信が持てると思っていて、実際にたどり着くと、その先にはもっと高い山がいることに気づきます。

ガッカリして、でもまたさらにその高い山を目指し、たどり着いたらさらに大きな山に出会います。

世界は広いし上には上がいます。

その人たちと比べてばかりいると、一生死ぬまで誰かと比較して自信を失い続けることが可能なのです。

 

だから自分の今の山の高さを認めない限りは、一生苦しみ続けるのです。
あそこまで高くなったら自信が持てるだろうというのは一時凌ぎの痛み止めなのです。
そこまで高くなっても、さらに高い山があることを知るのですから。

 

しかしながら、今の自分がどんなに平均より劣っていたとしても、これが今の自分の実力だと認めることができれば、冷静に周りが見えてきます。

卑屈になるのではありません。
そして決して出来ないことがいけないことだと思わないこと。
客観的に、ここにいる自分の立ち位置を見るのです。

そうするとここをベースに積み重ねていくと言う正当な努力が出来るのです。

 

つまり今の自分と周りを明らかにして、それを認めた上で努力するのです。

 

本当の自信というのは今の自分をそのまま広げていくことでしか出来ません。

他者から褒められたり賞をもらったりといった、外的要因で与えられるのではなく、自分自身の今の実力を認めることにより芽生えるのです。

 

つまり今この瞬間に自信を持つことができる。

 

自信とは自身なのです。

次回→ 自信を継続させるためには

 

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アメリカ大統領選挙に投票した話

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皆さんこんにちは!

ハリウッドのアーティストと謳っておきながら、日本在住疑惑が色濃い片桐裕司です。

その疑惑を払拭するためつい先日、アメリカ大統領選挙の投票をしてきました。
今回はそのレポートをしたいと思います。

1. 日本の投票との違い

私は高校卒業後、18歳でアメリカに移住したため、なんと日本で投票したことがありません!

そして生まれて初めて投票というのを経験したのは4年前。
そう。アメリカの市民権をとって初めての前回の大統領選挙です。

ということですみませんが、日本とアメリカの投票の違いは全くわかりません。(笑)

ただただこちらで体験した事をレポートしたいと思います。 

2. はじめに

選挙前になると、選挙の登録をしなさいという郵便物がやたらと届きます。

誰でも投票できるわけではなく、本人であるという登録をしなければ投票できないからです。

その登録が投票の第一歩です。

郵送してきたものに自分の情報を書き込んで、付属の封筒で送り返します。

これで登録は完了です。簡単ですね。

あと当然今はオンラインで登録もできます。

前までは投票日の1−2週間前までに登録を済ませなければいけなかったのが、今は投票当日でも大丈夫です。
世の中便利になったものですね。

3. 投票のやり方の選択

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前回までは投票日は1日だけと決まっていたのですが、(もちろん登録すれば事前投票もありますが)今年はコロナの影響で、投票所の混雑を避けるため投票日が5日間になりました。
正式な投票日は11月3日(火)ですが、10月30日(金)から投票が出来ます。

郵送でももちろん出来ますが、私はこのネタのために、投票所に行って投票するつもりだったので郵送は無視です。

郵送でなく実際に投票する場合も、2種類の選択肢があります。

ネットで全ての選択を済ましてから投票所に行くのと、投票所で選択をするというもの。

大統領選なんてトランプかバイデンの2択で、あっという間に終わっちゃうのになんでわざわざそんな事するの?

と思ってる皆さん。

私も前回大統領選挙に初めて投票するまではそう思っていました。

実は大統領選挙は、大統領に投票するだけのものではないのです。

4. トンデモない数の選択肢

私はあらかじめオンラインで投票していくことにしました。

まずは下の写真を見てください。オンライン投票の1ページ目です。

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訳すと、

ロサンゼルスコミュニティカレッジ区 管財委員会委員、第一議席
一人に投票

となっております。

スクロールすると、8名の候補者がおり、その中から一人選ぶ様になっています。

聞いたことない人ばかり、、、

 

それよりも何の機関なのかも見当もつかない

 

しかし注目するのは一番下

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1/26とありますね。

なんとこれは26項目ある選択肢の1つ目ということなのです!!!
 

こんな一度も聞いたことが無い人たちばかりでなく、何の議員を選んでるかも判らない人たちを選出しながら進んでいかないと大統領まで辿り着けないのです。

 

早くも挫折しそうだ!

 
果たして私は大統領候補に一票入れられるのだろうか??

5. 恐るべしアメリカ大統領選挙

それは4年前の出来事でした。

日本も含めて生まれて初めての投票に私は胸を躍らせていました。

生まれて初めての投票がなんとアメリカ大統領選挙

その時はヒラリーさんか、トランプさんでした。

ライトもレフトも分からずに向かった投票所。

家に届いた投票人番号が書かれた葉書を手に初めての投票。

左右をついたてに挟まれたスペースで、初めて投票用紙というものを目にしました。

想像していたのは、ヒラリーとトランプの2択。

しかし目の前に何枚も重なっている投票用紙は私の想像を超える、というか、何が書いてあるのかすらも分からない暗号の様な項目がひたすらに書き連ねてあったのである。

「なんじゃこりゃ!!」と思わず叫んで殉職したくなる衝動を抑えてよく読んでみると、どうやら他の機関の役人たちも投票する様になっているのがわかった。

実はその日はセミナーのために日本に向けて発つ日であり、空港に向かう前にちゃちゃっと大統領候補に一票入れて行く予定だったのである。

1−2分で済む。

そんな予測は見事に覆されたのである。

大急ぎで目を通し、てきとう、、、慎重に候補を選びながら最後の最後の項目にある、大統領候補にたどり着いた思い出があるのである。

その後大急ぎで空港に向かい、日本に到着した時にトランプ大統領が挨拶をしていて衝撃を受けたのをよく覚えています。

6. 投票方法の大きな進歩

そんな経緯があったので、今回はオンラインであらかじめ投票することにしました。

とは言っても、候補が何者かも分からずに投票するのも良くないので、ほとんどスキップ。

スキップできてよかった! 

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ちなみに誰かを選択すると黒くなります。

そして州上院議員25区とか州議会員39区とか上位裁判所裁判官公職番号80とか上位裁判所裁判官公職番号162とか、もう

訳のわからない政府機関の投票がひたすら続きます、、、

ようやくそれが終わっても、まだまだ大統領には辿り着けません。

次に来るのは、新しい法案の可否投票が待っているのです!

7. 新法案の可否

ちなみに私は日常会話なら英語は話せますが、政治的専門用語が入るともう訳わからなくなるので、投票用紙解説の日本語をもらっています。

その辺さすがは移民の国。
様々な言語でのサポートがあります。

そんな訳で、読者の皆さんのために今回投票を受け付けている法案の一つを日本語で紹介します。

群法案J

コミュニティへの投資と投獄の代替案に対する郡予算の最小割り当て。この法案(憲章修正案を採用した条例に詳述されているとおり、コミュニティの投資と投獄の代替案を通じて人種的不正の不均衡な影響に対処し、郡の地元で生み出された一般基金の規制されていない収入のうち少なくとも十パーセント(10%)を群の予算に毎年割り当て、そして、これらの資金を刑務所システムや法執行機関に使用することを禁止する)を採択するべきですか? ●法案に賛成 ●法案に反対

ふむふむ、、、 なるほど。
投資と投獄の代替案を通じて人種的不正の不均衡、、、

 

わかるか!!!

 

全く頭に入ってこない!
こんな感じの法案の可否投票がなんと13もあるのである!

はっきりと宣言します。

 

やってらんねぇ!!

これら全てを通過しないと大統領を選べないのである。

アメリカ大統領選。何という恐ろしいイベントなのでしょう!!

8. 大統領候補に投票の前に

長い、、、長い道のりであった、、、

全て白紙で素通りしても長い、、、

この長い道のりの終わり。

私はついに大統領に一票投じるところまで辿り着いたのである。

 

トランプかバイデンか!

とほっとしたのも束の間。

私は自分の目を疑った。

何と、、、

大統領候補は6人いたのである!!!

9. 6人いた大統領候補

何ということだろうか!
大統領候補は2人なんかじゃなかった。

6人もいたのだ!!

私の両親は父と母の二人だと思ってたのに、四人の男が「俺が本当のお父さんだよ」といきなり現れた。

そんな心境である。

母はどれだけ遊んでいたのか。

まさにオーマイガッド!

大統領候補

Gloria La Riva(平和自由党
Roque "Rocky" De La Fuente Guerra (アメリカ独立党)
Howie Hawkins (グリーン党)
Jo Jorgensen (自由党)
Joseph R. Biden (民主党)
Donald J. Trump (共和党)

聞いてねぇよ〜! とダチョウ倶楽部張りに叫んでもその事実は変わらない。

もっともまあ2択でどちらかにする予定だったから関係ないのだけれど、、、

ここまで他の候補者が取り沙汰されないのも何なんでしょうね?

メディアに全く無視されてるし。

こうして数多の苦労を乗り越え、ついに投票を終えたのでした。

最後まで行くと、QRコードが発行されるので、それをスクショして投票所へゴー!

ちなみに誰を選んだかは、ひ・み・つ

10. ついに投票所へ

投票所はかなりあちこちにあり、ウチから一番近いところは車で45分のところ。

ここからは写真で紹介していきます。

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まずは投票所
学校ですなここは

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案内に促されて行きます。今日は暑い!

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まずは受付。
うちに届いた登録済みのバーコードを渡します。

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スマホにある事前投票済みのQRコードを見せたら、そのやり方での投票は私が第一号とのこと。スタッフのお姉さんたちもちょっと戸惑ってました。

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5日間の初日で平日の昼前ということもあってかめちゃくちゃ空いてます。

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投票は何とタブレットです。
オンライン事前投票してなければ、ここですることになります。

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日本はどうかわかりませんが、アメリカがすごいと思うところは、ハンディキャップがある人たちも対策がよくできてること。使い方は知らんけど。

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スマホQRコードをスキャンさせたら、画面にこれでいいかの表示が出てきます。
大統領以外選んでないので、ビックリマークだらけ、、、
気が変わったらここでも変更できる仕組みです。

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確認を終えると、プリントしていいかの表示が。

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Yesを押すと、かっこいい感じで印刷された投票用紙がプリントされて光のところから出てきました。

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こんな感じで。
大きさはA4くらいとでかい!

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投票の準備はいいかい? と聞かれます。
投票ってVote以外にCastというんですね。初めて知った。

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そして今出てきた紙を確認して、再び同じところに差し込むと、紙は機械の中に吸い込まれます。

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最後にこの様な表示が出ます。

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そして帰り際に、”我投票せり” のステッカーをもらって終了!

到着してからものの5分もいなかったかも。

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そんな訳で投票終了!

誇らしげにステッカーを貼ってみました。

11. 最後に

そんな感じで、日本人にはなかなか馴染みのないアメリカ大統領選挙をレポートしてみました!

テレビとかではなかなか見られない、一市民の視点からのレポートなので楽しんでもらえましたら嬉しいです。

映画業界がコロナで大打撃なので、早く景気が回復してもらいたいものです。

誰になっても頑張れ大統領!

chokokuseminar.com

 

 

 

才能を発揮させる方法

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前回に引き続き、【才能】について書きたいと思います。

前回の記事はこちら

 

1. 非効率な努力をしない

前回私自身の経験の事を書きました。

 

その経験で重要なのが、ある地点での努力の仕方の明確な変化です。

それまではこうでなきゃいけない、こうあるべきだ、しなきゃいけない。

という気持ちだったのが、

「こうしてみたい」に変わったことです。

これはものすごく重要なことなのですが、自分を含めて多くの人がこのことに気づかずに効率の悪い努力をして苦しんでしまっているのです。

可愛いキャラが描けるように、作れるようになりたいという希望があって、でも美術の基礎はデッサンだから、まずは円錐が描けなきゃ。立方体もかけなきゃ。そして石膏像も描かなきゃというふうに、デッサンなどを上手くなるためにやらなければいけないことという義務としてやっているのです。

問題はデッサンがいい、悪いと言うのではありません。

やらなきゃいけないという気持ちでやっているのがいけないのです。

 

例えばもし可愛いキャラを描けるようになりたいという気持ちがあるのであれば、とことん可愛いキャラを描くなり作るなりすればいいのです。

もっと上手く描きたい。もっと可愛く描きたい。という気持ちは自発です。

これを、可愛く描かなければならないという気持ちになったらそれは義務になります。

 

義務は積み重ねれば積み重ねるほど苦しくなってくるのです。

 

私が一回潰れた理由はこれです。

人体こそ基本。解剖学は勉強しなければいけないもの。

そう言い聞かせながら練習してきました。

はっきり言って面白くなかったです。

というより苦しかったです。

苦しくなるパターン

義務だから面白くない。

苦しくなる

続けられなくなる。

続けられないから上達ができない。

上達できないから苦しくなる。

無理やり努力する。

さらに苦しくなる。

まさに地獄の無限ループです。

上達の秘訣は、練習、勉強を続けて出来るようになる事を積み重ねて行くことですが、積み重ねるという行為をするために大事なのは、やりたいという気持ちなのです。

2. 義務でなく、やりたいという気持ちを大切にする

上達するための練習は、やらなきゃいけないと言う義務ではないのです。

上手くなる人は大概好きなことをひたすら好きなように描いたり作ったりしています。

そうやって上手に、可愛くとかカッコよく描きたくてずっと描いてきて、ある時ふと気づいたりするのです。

顔の構造がよく分かってなかったんだなと。

そして色々調べてみると、彫刻をすれば構造を理解しやすいとか、デッサンを練習すれば陰影の練習になるのでは?

と気づいたりもする事があるかもしれません。

そこでデッサンをやったとしたら、

その時はもう基礎だからやらなければいけない、義務だからやらなければいけないという理由ではなく、

もっと顔の構造を知り、可愛い顔が、かっこいい顔が上手く描けるようになりたいからというポジティブな理由ができるのです。

そのような気持ちでデッサンに向き合う場合は、おそらくもっと楽しいものになるはずだし、上達も早いはずです。

デッサンをする目的が生まれたのですから。

義務ではなく自発

そうなんです。
あなたが上達するのは、義務などではなくて、あなたが望んでるからなのです。

自分の望むものという自発を根底に、今自分ができること、やりたい事を広げて行くと、

自発でやると

やりたいものを描いたり作ったりしてみる。

楽しいから継続できる。

継続できると上達する。

上達してくると、もっとこうしてみたいと言う希望が出てくる。

新たなやり方を勉強する

この上達のポジティブなサイクルに乗せることができると、上達するスピードが格段と上がってくるのです。

自分が表現したいものを気持ちよく出すときに、その作品には魅力が産まれます。

そして魅力というのは、それぞれがもつ自分の【好き】から生まれるのです。

【好き】まさに人それぞれ。

1000人いれば1000通りあると言えるでしょう。

才能というものは、その人それぞれのもつ【好き】のことであって、そういう目で見れば、まさに全ての人は何かしらの才能を持っているということです。

いい作品は、自分の【好き】に気づいて、それを一生懸命出そうとして洗練を重ねて発揮できていくものなのです。

それは決して義務的な気持ちでやる練習で出せるものではないのです。

3. 技術・知識よりも大切なもの

前に書いた監禁されてデッサンを練習する話を思い出してください。

あそこまですれば確かに皆うまくなります。

しかしそれは【技術】という一面がうまくなるのです。
多くの人が、上手く描く、作るという【技術】に囚われてしまっているのです。

そして【高い技術イコール才能】だと思われてる節もあります。

以前技術よりも大事なことがあり、それは【知識】だと書きました。

 手を動かす前に、表現する対象を知るということですね。

しかしながら、その【知識】よりも大事なものがあるのです。

自分自身の才能を発揮するためには、それが必ず必要になってくるのです。

それは、、、

 

心なのです。

 

そうです。

私が販売している50万円の壺を買えば、その心が洗われるのです。

 


嘘です。

4. 心の大切さ

心とは何か?

表現するものを可愛くしたいとかかっこよくしたい、気持ち悪くしたいとかいう【思い】

自分が作品にこめたい気持ちです。

上手く描く、作るというのは【技術】です。

そのためには【知識】が必要です。

しかしそれらの根源である、自分がどうしたいのか? という【気持ち】、すなわち【心】が最も大切なのです。

こうしたら面白い、こうしたらカッコイイ、という好みは人それぞれ違います。

こんなことしたらウケないんじゃないか、とか笑われたら恥ずかしい、とか思わずに、まず、こんなのが好きなんだ! というのをとことんやってみることです。

そしてその好きなものを出したいという【思い】を根底に持って、その【思い】を表現するために勉強をすると、それは自発的な勉強になります。

しなきゃいけないという義務ではなく、私の【思い】を表現したいからというポジティブな勉強になるはずです。

そしてその実践が練習なのですが、その練習も、自分の【思い】を表現するためというポジティブなものになります。

好きなものを表現するという思いを根底に持っていれば、そのためのデッサンになり、そのための勉強になり、そのための練習になるのです。

そして、その好きを表現するために技術力を高めていったら、他の人とは違う、自分だけの何かが表現できるようになってくるのです。

技術を高めるために練習するのではなく、自分の好きを表現するために練習をするのです。

それがあなただけの味になるのです。

5. 味を出す

当然技術や知識も大切です。

身につけていかなければならないことです。

多くの人は、
技術を身につけてから好きなことをやろう
と思ってる節があると思います。

違うのです。

好きなことを好きな様にやってみるのです。

もっと上手に表現したいという【心】を根底に持ってやればポジティブに勉強や練習ができるのです。

そして結果的に技術も高まるのです。

才能がある人と呼ばれるのはそういう人たちです。

やりたいことをとことんやってきて技術力を高めていったのです。

前回の記事での例え話で、監禁されてひたすら技術力だけを高めていっても、ただの上手な人にしかならないし、作品に魅力も出てきません。

しかし多くの人たちがこの例えのように、やらされている状態で苦しんでいるのです。

誰にやらされているのかというと、他でもない、自分自身なのです。

こうでなければいけない、ああでなければいけない、これを勉強すべき、好きなことは基礎を固めてからなどなど、自分で作った義務の鎖に縛られてしまってるのです。

非常にもったいないことです。

魅力(味)を出すために

正しい知識や技術を身につける→好きなことをやる。
ではなく
好きなことをやる→その過程で技術と知識が身についていく。

ただの趣味でやっていて、アートの技術で食べて行く必要がないのであれば、とことん自分の好きなことを突き詰めていけばいいでしょう。

そうしているうちに、もっと上手くなりたいという欲は必ず出てきます。

その時勉強すればいいのです。

そうすると自発的な勉強になるから、確実に身につきます。

だけど、自分がすごいと思っている誰々がこの練習をしてきたから、自分もそうしなきゃ! という義務感でやってしまうと苦しくなるのです。

人は人と割り切って、自分の好きなものを自分で理解して自分に正直になること。

これが一番の上達の近道なのです。 

6. (おまけ)嫌な仕事をどうやってするか?

しかし、プロになると自分の好きなものだけやって行くわけにはいきません。

むしろ好みでないこともしなければいけない方が多いかもしれません。

私の仕事はコマーシャルアートという部類になります。

どういうものかというと、自分が作りたいものでなく、クライアントが望んでいるものを提供する仕事です。

そのようなプロになったら自分が好きなタイプでないものでも作らなければいけません。

当たり前です。それがプロなんですから。

では好きでない仕事が来たときどうすればいいのか?

まず大事なことは、自分が好きなもの、好きな系統は何かを自分で自覚していることです。

そうすれば少なくとも、好きでないものをやるときの得体の知れないモヤモヤの正体が分かります。

そして好みでない仕事が来たときに、これは嫌なことだと捉えないことです。

嫌だというのは感情です。

そうなるとなかなかコントロールできなくなってきます。

その代わりに苦手なこととして捉えるのです。

苦手というのは客観的な事実です。

単純なことなのですが、嫌だという感情で捉えるのと、苦手という事実で捉えるのでは心の負担が全然違うのです。

嫌だ、で捉えてしまうと、その仕事が終わるまでずーっと気分が悪いだけでなく、そういう時に限ってなかなかOKが貰えなかったりします。 

嫌だという感情は自分が生み出すアートにも影響するのです。

しかし苦手だと捉えることができれば、じゃあどうすればいいかという道が明確になってきます。

苦手だからチャチャっと終わらせてしまおう、と集中できるかも知れないし、苦手だからもっとできるようになるように少し勉強しよう、とかポジティブに捉えられることができるかも知れません。

そうやってプロとして自分の引き出しを増やせるのです。

引き出しを増やしていったら、苦手なものでもできるようになってきて、それが好きに変わる場合もあるのです。

そしてプロとして自分の能力が上がっていくプロセスは、他に変えがたい喜びがあるのです。

7. 結局才能とは何なのか?

色々書いてきましたが、最後に、才能とは何か?という最初の疑問のまとめです。

 

才能とはあなた自身です。

 

自分が好きなものを自覚してとことんそれを磨いていった時に、他の人がすごいと思えるものを生み出すことができるのです。

それは決してやらされた努力では出せないものです。

努力すれば必ず上手くなります。しかしそれは一種の技であって、本質的な才能とは違います。

磨くことを努力とも捉えられるかも知れませんが、当の本人にとっては好きなことをやっているので努力しているという自覚もありません。

ただ他の人から見ればものすごい努力をしている風に思えるのです。

人に遠慮して生きていた人にはなかなかそれを出せません。

好きなこと、得意なことがわからなければ、家族や親しい友人に聞いてみるのもいいでしょう。

自分が得意なものは何か? 何をしている時に没頭しているのか? 

何をしている時、何を話している時が幸せそうか?

あなたが当たり前のように無意識でやってること、できていることが、他人にとってはすごい事であったり、それが実はあなたの才能だったりするのです。

それをとことん磨いていくといいでしょう。

誰でも必ずそれがあるはずです。

世間の常識、他人の言動に囚われずに、自分の得意、好きを伸ばす方向を見つけてそれを伸ばすためにとことん勉強と努力をしましょう。

そうすればいつかあなたも才能がある人と呼ばれるようになると思います。

頑張れ!

 

↓あなたの夢を応援します

才能がなければ上達できないのか?

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自分に才能があるかどうか不安だ。
才能がなければ上手くならないのか?
才能がなければ絵や造形、CGの仕事に就けないのか?

これは上達を目指した時、特にプロを目指した時ほとんどの人が一度は考える事だと思います。

私も例外なく若い頃はこの才能の問題に苦しみました。

 

映画の特殊メイクの仕事がしたいという意気込みだけで18歳でアメリカに渡り、才能がなかったらどうしようという不安どころか、私にとってそれは恐怖ですらありました。

ここで言う才能というのは、世間一般で思われている才能の意味合いのことです。

それはおそらく、練習をあまりしなくても初めから上手である、とか、子供の頃から人より抜きん出ていたといったものだと思います。

 

私には決してそのような素質はありませんでした。

 

しかしながら、全くできなかった私が今では結構なレベルのものが出来るようになり、さらには多くの生徒たちを偉そうに指導したりしているわけですが、それは才能があったからかと聞かれても、そんな自覚は全くありません。

 

ここでは才能に関する自分なりの考えを解説したいと思います。

少しでも才能がなくて苦しんでいる人たちの希望になればと思います。

こないだの片桐先生の彫刻セミナー、全員一回でめっちゃ上手くなってたのですが、先生が「上手い人は才能があるわけじゃない」って仰っていた。一時間とって、その説明をされてた。「自分には才能ない」とか、落ち込んでるのは時間もったいないって思う。
ー彫刻セミナー参加者の感想ー
 

 1.才能とは?

あの人は才能があるから出来るんだ。才能があるからすごいんだ。
よく聞く言葉です。

そこで自分を諦めてしまう前に、才能とは何かを分析してみたいと思います。

 ⚫︎どんな人が才能があると言われるか?

人を山に例えてみて、才能があると言われている人ほど高い山という事にします。

世の中にはいろいろな大きさの山があります。

日本国内では、富士山3700m、八ヶ岳2899m、浅間山2568m、阿蘇山1592m。

人は自分より物凄い上手い人に対して、あの人は才能がある、と感じるように思えます。

それは低い阿蘇山から富士山を見てるようなものです。

しかし日本で二番目に高い八ヶ岳から富士山を見たら、それほど高いとは感じないと思います。

つまり自分より少しくらい上手いだけでは、その人に才能はさほど感じない。

高い高いと崇められてる富士山自身はどうでしょうか?

富士山は日本では一番高いですが、世界には倍以上あるとんでもない高さの山があります。

それと比べてしまうと、富士山自信にとっては自分は高いとは思えないのではないかと思います。

才能もそれと似たようなもので、

才能とは

⚫︎そこに届いてない人たちが、見上げてその人を見た時の客観的な評価

という一面があります。

 

そうなるとこの場合の才能とは本質的なものではなく、人によってはあるかないかが変わっていくものになってしまいますね。

 

 ⚫︎どれくらい出来る人が才能があると言われるか?

「山」というのは土の「盛り上がり」が高くなったものですが、どの高さになれば「盛り上がり」が「山」と呼ばれるようになるのでしょうか?

 

ただの「盛り上がり」から見れば、「山」と呼ばれるものは自分には届かない、才能のある人だと思うとすると、「盛り上がり」と「山」、つまり才能のある人とない人の境というのはどのポイントなのでしょうか?

2000m以上が「山」で、1999m以下は「盛り上がり」?

つまり2000m以上が才能ある人で、1999m以下は才能がない人?

ずっと続けられる人が才能がある人だと言う人がいますが、ではどれくらい続ければいいのでしょうか?

10年?

だとしたら、9年11ヶ月と30日でやめたら才能がないと言うことでしょうか?

 

そんな事はありませんね。

多くの人から見らたら、私は才能がある人の部類に入ると思われているかと思いますが、私自身「これが出来るようになったから才能がある人になった」という明確なものがありません。

それよりむしろ才能なんてないと思っています。

才能とは?

⚫︎そこに届いてない人たちが、見上げてその人を見た時の客観的な評価
⚫︎この瞬間に【才能がある人の部類になった】などというポイントは存在しない

ものすごく出来るイコール才能なのかもしれませんが、どれくらい出来るのか?というのは他人と比べた時の客観的な比較でしかないのです。

今は例えとして、【高さ】という数値だけを取り上げました。

スポーツなどは、時間や距離など数値で測れる記録によって優劣が決まりますが、美術はそういう基準は存在しません。

芸術家、もしくはアートの仕事に携わっている人を、今度は山の【形】で例えるとしたら、いろいろな形になると思います。

曲がった山や、穴の開いた山、人の顔の形のような山もあれば、真ん中が裂けてる山があるかもしれません。

曲がった山が才能ある山で、裂けてる山が才能がない山とは誰も言えません。

それは単なる個性であるからです。

どちらが【高い】のか?というのも形が変われば判断は難しくなります。

 

ところが裂けてる山がある時期ものすごく人気が出て多くの人が見物に来た時、その山は才能がある山だと評価されるケースがあります。

芸人だと一発屋とか大勢いますよね。
才能があったからヒットしたのかというと、そうとは限りません。

1年くらいはチヤホヤされて、そのまま消えた人なんて死ぬほどいるのですから。

才能とは?

⚫︎そこに届いてない人たちが、見上げてその人を見た時の客観的な評価
⚫︎この瞬間に【才能がある人の部類になった】などというポイントは存在しない
⚫︎その人が持つ個性を持たない人たちが客観的に眺めた評価で、時代が変わればその評価も変わるかもしれないもの

ゴッホの様に生きていた時は誰にも認めてもらえなかったケースや、若い頃に何か作品をヒットさせて、数年後には忘れ去られた人とか、その様な人たちは若い頃から才能があったとは評価されないでしょう。

才能があるかどうかというのは実はあやふやな事なのです。

しかしながら、出来る人と出来ない人の差は断固として存在します。

それは何故なのでしょうか?

それこそ才能の差なのでしょうか?

2. 才能がなければ上達できないのか?

突然ですが一つ想像してみてください。

あなたが悪の秘密結社に誘拐されたとします。

あなたは監禁されてしまいます。

そこにはベッドがあり、机があり、シャワーがあり、食事は1日3回キチッと差し入れてくれます。

生きる分には何一つ不自由はありませんが、テレビもネットもラジオもありません。

机の上にはスケッチブックと鉛筆、そして石膏像があります。

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そこで秘密結社から指令を受けます。

毎日その石膏像を描け。上手く描けるようになったら出してやると。

他にやることがないので、あなたは絵を描き始めます。

死ぬほど下手くそです。

やることがないので、また描きます。 

さっきよりは少し慣れたけど、まだまだ画力はどうしようもないです。

頑張って3枚ほど描きましたが、上手くならないので描くのをやめて寝てしまいました。

翌日起きても何もやる気が起きません。

また寝ることにしました。

そうするといつも定刻に出される食事が来なくなりました。

腹が減ってしょうがありません。

大声で訴えても何の反応もありません。

仕方ないのでまた絵を描くことにしました。

すると食事が差し入れられました。

どうやらここでは描き続けないと食事がもらえないようです。

死なないためにはとにかく描かなければいけません。

1週間ほど経つと、少し描くのにも慣れてきました。

1日6枚ほど書いたので、40枚を超えています。

それでも手は慣れてきたけど、まだまだ上手いとは言えません。

それからさらに描き続け、1ヶ月が経ちました。

枚数にすると170枚くらい。

170枚も同じ石膏像を描き続けたのです。

途中で、何故上手く描けないんだろうとずっと観察することも増えました。

像を触ったりもしました。

寝るときも考えます。

だんだんとわかることも増え、手も慣れてコントロールができるようになり、目を閉じてもこの像の立体が思い浮かぶようになりました。

何せかれこれ3ヶ月もこれしかやっていないのですから。

ある朝起きると、石膏像が違う象に変わっていました。

画像2

しかしやることは同じです。

観察を重ね、触って、何度も何度も描いてだんだんとそれも描けるようになりました。

そしてそんな生活が3ヶ月、半年と続きました。

まだそこから出してはくれません。

絵を描いた枚数は1000枚を超えています。

さらに月日は流れ、あなたはなんと1年間毎日絵を描き続けたのです。

その時点までに身につけたあなたの絵の技術はどれくらいでしょうか?

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ここまでの状況を想像して、ほぼみんなとてつもなく上達していると普通に思えるのではないかと思います。

(上達してると思えないという人は相当ネガティブだと思うので、まずはその辺から改善した方がいいと思います。笑)

その通りです。

練習を積み重ねれば技術は確実に上達するからです。

よほど脳の機能に問題がないのであれば、これだけのことをやり遂げれば必ずかなりのレベルのことができるようになることは断言できます。

重ねて言います。
これだけの努力をすれば、誰でも必ずかなりのレベルのことが出来る様になります。

だけども積み重ねる過程で多くの人が挫折してしまうのですね。

上の例の様に練習できることなんてまずありえないでしょうから。

自分には才能がないから努力しない。
ゲームをする方が面白いから努力しない。
頑張っても他の人に敵わないから努力しない。
どうせこの世界で仕事できる人なんて一握りなんだから努力しても無駄。

人は努力をしないために、行動を起こさないために実に様々な言い訳を作ります。

そうすると、その言い訳に負けない努力まで必要になってしまいます。

もう大変です。笑

 

この章の答えですが、上の様に積み重ねていくことが出来れば、どんな人でもかなりの上達はできると断言します。

今まで死ぬほど出来ない人をいっぱいセミナーで指導してきました。
その後努力した人は例外なく成長しています。

才能に関係なく誰でもうまくなる事はできるのです。

 

しかしながら歴然として、出来る人と出来ない人の差は存在します。

それは何故なのでしょうか?

3. 本当の才能

3章で書いた例えの様に、歯を食いしばって、頑張って頑張って、色々な事を我慢して出来上がった作品に果たして魅力が出るのでしょうか?

世の中の才能があると言われている人たち、その人たちは我慢に我慢を重ねて努力してきたのでしょうか?

私の意見としては、そうは思いません。

やせ我慢して努力を重ねれば確実に技術は上達します。

それはあくまでも技術です。

しかしアートにはその上にもっと大事なものがあるのです。

それは作品の魅力というものです。

どんなに上手くても、魅力がなければ本当にいい作品とはならないし、決して人気も出ないのです。

そこに本当の才能というものが関わってきます。

才能があると思われている人たち

ある程度の技術を持っている事は絶対条件です。

技術は努力で確実に賄えるものです。

しかし【魅力】は、そこに才能が加わらないと出てこないのです。

 ⚫︎努力の限界

闇雲に努力をすれば、ある程度は上手になります。ある程度の技術力がないと、才能ある人とはなかなか思われないでしょう。

そして闇雲に努力しても、悲しいことにどこかで限界を感じることになります。 

 

私の経験から得たことをお話ししたいと思います。

まずは以前書いた記事を読んでください。

努力の限界を感じ、それを乗り越えた経験です。

続きは次回!

 

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3日間で大幅にレベルアップ・彫刻セミナー

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1991年からハリウッドで映画やテレビの仕事をしていますが、6年ほど前から僕が開催する彫刻セミナーのために頻繁に日本に行くようになりました。


なぜこのようなセミナーを始めたのかよく聞かれるので、改めて第2のキャリアである彫刻セミナーを開催するに至った経緯をお話ししようと思います。

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遡る事9年前。
2011年3月、東日本大震災が起きました。
そしてそれとほぼ同時に父が末期癌で入院しました。

私は地震の3日後の3月14日に父に会うため日本に来て、東京ではありましたが、その時の日本の現状を目の当たりにしました。

多くの人たちが様々な形で復興、援助に動く中、自分にできることは何なのだろうかと考えました。


私がまだ中高生であった1980年代は芸術で食べていくのは無理だと言われ、「いい大学に行けばいい会社に入れて安泰」「まともな仕事を選びなさい」という風潮が強い時代でした。
 

そんな中で高校2年の終わり頃、私は大学には行かない事を決め、特殊メイクを学ぶためにアメリカに行く事を決めました。
幸いなことに僕の両親は「好きなことなのであればやってみなさい」と言ってくれ、気持ち良く私をアメリカに行かせてくれました。
 

2年半の間ほとんど遊ばずギリギリの生活を続け、21歳になる頃には、行く前は誰一人として知り合いのいなかったアメリカの地で一人立ちすることができました。
今でも心から両親には感謝しております。


あの時やりたいと思ったことを実行したこと。
その行動のために協力してくれる人がいたこと。
時代が良かったこと。

全てが繋がって今があり、自分の半生を振り返ってみて思うことは、本当に自分は運が良かった。
そしてやりたいと思ったことをやって本当に良かったということです。

「やりたい事をやってよかった」それが僕の中の価値であり、その価値観を今の日本の若者たちに伝えたいと思いました。

私は18歳からアメリカに住んでおりますが、日本の文化、特に明治維新を起こした侍たちの生き様に憧れており、あの時の侍たちが命を懸けて守ったこの国を、みんなが誇りを持てる国にしたい。

カッコつけているようですが、本当にそういう思いを持っています。

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やりたいことを堂々とやっていいんだ!というセリフを思い切り言える大人になりたい。 

そしてそれを日本の若者たちに身を持って伝えたい。

これが震災後に考えた、自分ができることの自分なりの答えでした。


そして震災からちょうど2年後の2013年3月16日。 その志を持って第1回彫刻セミナーが始まったのです。

僕の大好きな日本を元気にしたい。

ほんの小さな草の根運動ですが、そういう思いを持ってセミナーを続けてきたつもりです。


私がやりたかったことは単なる彫刻の技術セミナーじゃなく、「やりたいことを堂々とやっていいんだ」「そして誰でも可能性があるんだ」というメッセージを伝えることにより
皆んなに希望を持ってもらいたい、この先の人生を諦めてしまう人たちに勇気をあげたい、苦しんでいる人たちの心を軽くしてあげたい、という僕の思いを届けるものでありました。

 

セミナーを始めてちょうど1年後の2014年3月15日、まさにセミナーの真っ最中に3年間の闘病生活を終え父が亡くなりました。

父の見舞いに行くのが日本に来る一つの理由でもあったので、セミナーを始めた当初は、セミナーは父が生きてる間だけのつもりでおりました。
 

しかし気づいてみたらどんどん参加人数が増え、いろいろな新しい機会もいただくようになっていました。

改めて多くの人たちに求められていることを自覚し、それに感謝し、継続させてもらう事にしました。

間接的ではありますが、彫刻セミナーは父のおかげでできたと思っています。

あれから6年間、実に多くの人たちを指導してきました。
ありがたい事にリピーターの数も相当おります。

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今後どのような形になっていくかはわかりませんが、今ではハリウッド映画の仕事に携わるよりも価値を感じております。


道に迷っている人、伸び悩んでいる人、大きなステップを得たいという人などなど、初心者から上級者まで、誰でも大きく得るものがあることを保証します。
ハードルが高いと思われがちですが、参加者の多くは初心者です。


参考に(3日間の驚くべき効果)こちらをご覧ください。
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初めて参加するから不安。
そもそも粘土に触ったこと自体ない

 

そういう人が実はかなり参加しています。

 

その中の一人を少し紹介させていただきます。

全くの未経験から参加いただいたSさんは、セミナーの最後、本人も驚くほど成長していました!!

Sさんが特別だったという事はありません。

セミナーを受ければ実感していただけるはずです!!

Sさんの感想です。

**********************

昔から彫刻を観るのが好きでしたが、美術や造形について学んだことは一度もありませんでした。

たまたま本屋で片桐先生の本を見つけて、軽い気持ちでセミナーに申し込んだものの、フェイスブックに上げられた他の地区で行われた会場の様子を見て、完全な初心者どころか、全く粘土を触った事も無い私が受けるレベルのセミナーでは無い!と慌てましたが
先生から『大丈夫ですよ』とのお返事を頂き、そのまま参加しました。


とはいえ、少しは練習しようと粘土と土台を購入し、先生の本を見ながら、
5時間程かけて作ったのがこの写真です。

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人生初彫塑。



精一杯でした。

ところが、きちんと講義を受け、完全な素人をたった3日でここまで導く先生の技術と指導力の素晴らしさ!
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 会場で知り合った方々も 、皆さん多種多様な経歴の持ち主で、お話を伺っていて大変楽しかったです。


デザイン講座も大変充実した内容で、これは中学三年生の息子に是非聞かせたかった!と
連れて来なかったのをとても後悔しました。

 

そんなわけでみなさんも興味があれば参加してもらえればと思います。

 

chokokuseminar.com

デッサンは美術の基本なのか?

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1. デッサンは必要なのか?

美術の基礎はデッサンだという言葉をよく聞きます。

 

そしてそれによって、今までデッサンをしてこなかったから自分の絵や造形に自信がないとか、上手くなるためにはデッサンをしなければいけないのかというプレッシャーを感じている人が多くいます。

 

多くの人がデッサンに対してコンプレックスを持っているようです。

あれこれ言う前に、私のデッサン経験をお話ししたいと思います。

 

粘土で造形することを生業としているこの私。
自慢じゃないですが、ハリウッド映画の主役級のキャラクターを任されたりもします。

 

しかしながら、ぶっちゃけ自分の生涯デッサン枚数をここに告白しますと、

それは

3枚(誤差+ー1)

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高校の時の選択科目は音楽だったのですが、3年生になってクラス変更ができたので、美術をとることにしました。

 

そこで初めてデッサンなるものの存在を知りました!

しかしながら、描いてはみたもののどうもうまくいきません。

 

そして正直全く面白くなかったです。

 

面白くないものが長く続くわけがありません。

 

結果として、この高校3年の頃に描いたデッサン3枚ほどが、私の生涯デッサン枚数となったのです。

 

結論を言ってしまえば、造形が上手くなるのにデッサンは特に必要ありません。

 

場合によっては絵に関してもそうです。

 

私がアーティストとして仕事をしているアメリカでは、私の知りうる限り誰もデッサンはやっていないのです。

 

しかし日本ではデッサンが全ての芸術活動の基本だと思われている節があります。

果たしてそうなのでしょうか?

 

私が主催する彫刻セミナーにデッサンがめちゃくちゃうまい人物が受講した事があり、彼はとてつもないデッサン力を持っていましたが、彫刻はからっきしだめでした。

 

そこでデッサンが上手くても立体は出来ないのか? と言う疑問が生まれました。

 

しかしながら、デッサンがめちゃくちゃ上手い人が初めて彫刻をしたら、造形もすごくうまかったと言う事例もあります。

 

この違いはなんなのでしょうか?

 

デッサンは多くの技術を必要とします。

 

形を捉える目や測り方、鉛筆(木炭)の微妙な強弱などのテクニックなど。

そして練習を重ねていけば、洗練された模写能力が身についていきます。

 

しかしそれが出来たからと言って、自由自在に思ったものが描けたり造形できたりするのかと言えばそうでも ありません。

 

なぜなら、ありのままを見たままに描くという【技術】だけに集中してしまい、形を理解するという【知識】を得ることを疎かにしてしまってるからです。

 

例えると、この像を反対から見たらどうなるのか、下から見たらどうなるのかという想像が出来ない。

 

表題の、上達するのにデッサンは必要か? と言う問いに対する答えですが、これは職種によっては必要で、必要でない職種も結構あると言う少し曖昧な答えになります。

 

しかしデッサンをやらなければ、一定のレベル以上に上手くならないのか? と聞かれれば、明確に否定しておきます。

 

デッサンをやらなくても皆さんの絵、造形は上手くなります。

じゃぁ何のためにデッサンがあるのか?

2. 何故デッサンするのかを考える

何を勉強するにもそうですが、

何故それをするのか?
何を身につけたいために勉強するのか?

を知ることが大事です。
では何故デッサンを勉強するのか?

私はデッサンをろくにやってこなかったので、これは私の個人的な意見になると思いますが、

⚫︎3次元を2次元で表現する技術 
⚫︎3次元の形の理解(知識)

という技術と知識を得るためだと思います。

観察力を鍛えるというのもありますが、これは知識の部類とします。

 

しかしながら多くの人が、【こうやって絵を描く】という「技術・アウトプット」のやり方だけに囚われて、ありのままに観ることにこだわりすぎて(大事な事ですが)、立体はこうなっているんだという「知識・インプット」を得ることを疎かにしてしまっている人が多いと感じています。

 

そういう「技術」だけを磨いてきた人たちは、前回書いた、デッサンはうまくても彫刻をしたら出来ないという人になり、

形を「理解」しながらデッサンをしてきた人は、彫刻をしてもそこそこ出来るのだと思います。

 

石膏デッサンなど、せっかく過去の偉大な彫刻家たちが遺した分かりやすい人間構造の造形物を目の前にしているのに、人間の形の知識を得ないなんて実に勿体無いことです。

 

多くの美術の教育機関がなぜデッサンをさせるのかという理由が、「デッサンが出来るようになるため」ということに収まってしまっているのではないかと感じております。

つまりデッサンのためのデッサンです。

 

美大に受かるためという目的のためにデッサンがあり、テスト合格の基準として、及第点を身に付けるためにデッサン教育がある。

 

そんな印象があります。

 

そこには、「デッサンによって何が出来るようになりたいのか」が抜けているのではないかと思います。

 

【何のため】がわかった時に初めてデッサンが基本になりうるのだと思うし、逆にデッサンが必要のない人も出てくるのです。

 

デッサンで訓練する、

観察する目
全体を捉える目
大きな塊からじわじわと細かくしていくやり方

それらの能力をデッサンを通じて鍛えたら自分の目指す仕事に大いに役立つと思うのであればすればいいのです。

しかし、そのエッセンスを理解できれば、造形だけしていてもその能力は鍛えることはできるし、自分の描きたいものをひたすら勉強して描いていっても、その能力は上がるのです。

 

3. デッサンで得たい能力を理解する

このようなエッセンスが理解できるのであれば、円錐やボール、ピーマンや石膏像を模写する必要はないのです。

 

これが基礎だからやらなければいけない、と無理やり努力している人達、

一旦デッサンの勉強をやめていいですよ。

 

そして好きなもの、上手くなりたいものを思い切り造るなり描くなりしてみましょう。

 

そして上達していく過程で、今やってることがもっと上手くなりたい、そのためにはデッサン力をつけた方がいいと自発的に思えた時にやってみたらいいのです。

 

訓練方法としては非常に優れている技法だとは思うので。

その時はデッサンをポジティブに捉えられてるはずなので、上達も遥かに早いはずです。

 

私がこのような記事を書いたのは、何もデッサンに反対しているからではありません。

それを勉強していないからって、引け目や劣等感を感じる必要が全くないということを伝えたいからです。

 

仕事内容によっては必ずしも必要な能力でもないし、必要性を感じたとしても今からでもできるのですから。

 

しかし美術の基礎=デッサン という考えは明確に否定しておきます。

 

では何を持って基礎としたらいいのでしょうか?

多くの生徒を指導していく中で、こっちのが絶対効率いいじゃん! という勉強方法を発見しました。

 

4. デッサンよりも彫刻

タイトルの通り、立体を理解するには立体を作るのが一番効率の良いやり方です。

 

デッサンを通じて立体を理解するのであれば、初めから立体を作ったほうが理解度は断然早いのです。

 

実に当たり前のことなのです。

 

もちろん形を理解するという【知識】を飛躍的に増やせるというのが大きな要素で、絵を描く【技術】に関してはもちろん絵を描かねばいけません。

 

しかしながら、面白いことに彫刻が上手くなると、自然にデッサンがもっとできるようになってきます。

 

形を立体的に捉えられるようになり、頭の中に、その形の立体が浮かんでくるようになるからです。

 

頭に浮かんだ3次元の形を2次元で表現すると、自然に立体感を出せるようになってくるのです。

 

多くのイラストレーターや漫画家が私のセミナーで彫刻にチャレンジしていますが、皆一様に、セミナー後は絵が格段と上達したと言ってくれています。

 

皆それぞれ上達したいもの、描きたいもの、作りたいものが違うと思いますが、「デッサンは基礎だからやらなければいけない」という強迫観念でするのではなく、単なる上達方法の一つとして捉えればもう少し気楽に出来るのではないでしょうか?

デッサンは義務でなく権利なのです

 

次回:才能について

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プロも素人もアーティストとして上達する近道

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私に美術の才能はありません

 

私はハリウッド映画の特殊メイクの仕事がしたくて18歳でアメリカに渡り、19歳でハリウッドの特殊メイク工房でインターンとしてキャリアをスタートました。

 

そして「A.I.」「 パシフィック・リム」「マンオブスティール」「スパイダーマン」「パイレーツオブカリビアン」「Xメン」など

最近では「アバター2」や「マンダロリアン」など、今まで多くの大作映画の主役級のキャラクターのデザインや造形に数多く携わってきました。

 

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そして現在主催している『彫刻セミナー』では今までに2000人近くの受講生を指導してきました。

 

参加者は美術にコンプレックスを持った素人から、ゲームや映画、デザイン業界で活躍するプロまで、年齢層も13歳から75歳までと、受講生の幅と職種は多岐に及んでいます。

 

その中でセミナーで私が一貫して主張しているのが、最初に書いた、私には美術の才能がないと言う事です。

 

多くの人が才能という言葉に翻弄されて人生を諦めてしまう。

 

それがどうにも勿体無く、その人たちに希望の光を見せられたらと思ったのがセミナーを始めた一つのきっかけです。

 

私自身が若い頃は才能も自信もなく、それでもどうにかハリウッド映画の主役キャラの制作に携われるレベルにまでなったのには、当然ながら上達するためのプロセスを通ってきたからです。

 

そしてその上達するための理論を自身のセミナーで指導しているのです。

 

多くの教育機関では、練習方法やどのように作るかの ”やり方” は指導していても、上達するための ”考え方”を指導していないように思えたからです。

 

どこで勉強しても上達しなかった受講生が私のセミナーをきっかけに上達したり、美術系の仕事に就くのを諦めていたが、セミナーをきっかけに自信をつけて夢を叶えたり、

嬉しいことにセミナーのおかげで人生が変わったと言って貰えることもしばしばです。

常に私は、受講生が ”何故出来ないのか?” ”どうやったらできるようになるのか?” を考え続けています。

 

出来ないことにも、上達できることにもちゃんとした理由があります

 

それは理論として説明できることから直感的な事まで多岐に渡りますが、この度それらの考えを文章にまとめようと思い立ちました。

 

30年近いハリウッドでの仕事の経験と、2000人ほどの受講生を指導しながら構築、修正していった私独自の美術上達理論です。

 

絵の描き方や造形のやり方といった単純な技術ではなく、それらを含めた根源的な考え方の理論になります。

 

だからこれは絵や造形だけに収まらず、あらゆる創作活動の根源的なものであると思います。

どこの美術書にもない独自の理論だと自負しております。

これが多くの人たちの励みになり、挑戦のきっかけになってくれればこの上ない幸せです。 

 

 1. 絵や彫刻、モデリングが上達するには?

多くの人が絵や彫刻、3Dモデリングなどを始めてみてぶつかる疑問だと思います。

私自身も試行錯誤していろいろなことを試してきました。

 

人体をひたすら描き続けた時もありましたし、とにかく毎日少しずつでも粘土をいじろうと思い立ち、無理やり毎日造形し続けた時もありました。

 

しかしながらそれにかけた時間の割に上達の速度は決して早いものではありませんでした。

むしろ平均より遅かったのではないかと思います。

 

ひたすらそれをするというのは上達する上で非常に重要な事なのですが、私の場合は、毎日やると決めて、やるという事そのものが目的になってしまって、肝心の質が伴なっていなかったのです。

 

筋トレで毎日30回腕立て伏せをすると決めて、本来は10回でもきちっと正しい場所に負荷をかけることによって効率よく筋肉が鍛えられるんですが、30回という回数にこだわり、適当に数だけこなしてしまって自己満足に陥ってしまうのと似たところがあります。

 

筋トレと同じで、絵や造形の練習も効率の良いやり方というのがあるのです。

 

効率よく上達するために、まずは上達するメカニズムを知る必要があります。

それは

見る

知る

練習する

というものです。

物凄い単純に見えますが、実はこれが非常に重要な事になります。

 

私が若い頃は、練習する事をひたすら続けましたが、

想像力を鍛えようと何も見ずに造形をして、何も見ずに絵を描いたりと、

見ると知るを気にしない事が実に多かったのです。

 

今の様にネットが普及している時代ではないというのもあり、本などがなければ見るものが何もなかったというのもありますが、、、

 

たまに何かを見ることはありましたが、盲目的にただ見ていただけで、知るというプロセスをあまり得てなかったのです。

 

ひたすら絵を描けば、ひたすら造形すれば上手くなる! 

という根性論的な信念に基づいて多くの無駄な努力を費やしていたのです。 

ーやってはいけない事ー
数や時間を目標としない
ー意識する事ー
数は少なくても一つ一つに集中する

なんて効率の悪いことをしていたんだとあの頃の自分に言ってやりたいです。

 

美術上達の練習も、運動と同じことが当てはまります。

 

野球のバッティングが上手くなるために、毎日1000本素振りをする。

そう決めてひたすら毎日1000回数えて、数えることに集中して、とにかく1000回ふれば上手くなると信じてひたすらに振る。

 

しかし本当に上手くなる人というのは、1回1回考えているのです。

 

1回振って、「今のは遅かった」とか、また振って、「重心がずれた」とか、毎回反省点を気にしながら、意識して数をこなしているのです。

 

何も考えずに振り続けているわけではないのです。

 

そうすると闇雲に振る1000本よりも、遥かに早い段階で進歩が出てくるのです。

 

それと同じで、毎日絵を描いても、毎日造形しても、あまり考えずにひたすら造るというのは非常に効率が悪いのです。

 

対象物をもっと見る。そして理解する。(知る) 

見て、知ることによって遥かに短時間で成長が可能になります。

まとめ:
見る→知る(理解する)
練習する数や時間を目標にせず、一つ一つ集中する
 

 2. 上達できないのは理由がある

出来るようになるためにまずはこうすればいい、こういう練習をすればいいという事よりも大事なことがあります。

それは何故できないのかを知るという事です。

 

出来るようになるには理由があります。

 

そしてそれを知る事によって、何故できないのかがわかってきます。

まずは出来るという事を分析すると、単純に二つの要素が含まれます。

技術

知識

技術というのは、手がどれくらいコントロールできているかという事です。

この道具を使ってこういう順序でこうやってやるという、いわゆるテクニックというやつは、この【技術】という部類に入ります。


当然これはとても大事な要素です。

 

思った事を技術的に表現できなければいいものはできないのですから。

ここで、”思った事を技術的に表現する” と何気なく書きましたが、この 【思った事】 というのが、【知識】 にあたります。

 

人は誰もが何かを表現する時は、自分の意思で、表現するものをコントロールしています。

無意識の境地で凄いものを生み出せたらそれはそれで羨ましいですが(笑)

 

ほとんどのケースでは必ず ”こうしてみよう” という意志が存在します。

 

その”こうしてみよう”という意志というのは自分の記憶、つまり知識を元にして生み出されているのです。

 

もっと簡単に言うと、人は知ってる事だけを表現しているのです。

 

つまり知識が増える事によって、表現出来る質やバラエティーが上昇するのです。

となると出来ないという理由が分かってきます。

 

出来ないと言うのは知らないと言う事なのです。

3. インプットの重要さ

練習する時に重要なのは、とにかくインプットです。

【知る】という作業を増やすのです。

 

知らなければ、いくら練習して手だけを動かしても出来るようにはならないのです。

 

絵の描き方や、造形のやり方が乗ってる本や、CGモデリングのやり方を教えてくれるセミナーなどに参加して講師のやり方を真似てみても、同じようにはまずできません。

 

同じ道具を使い、同じやり方をしているにもかかわらずです。

 

多くの、特に初心者にありがちなのですが、やり方がわかればできるようになると勘違いしている人があまりにも多いのです。

 

そして同じやり方をしているのに同じようにできないという理由がわかりません。

それで自分は経験が足りないからだと決めて、何度も同じやり方で練習しようとしますが、なかなか出来るようにはならないのです。

 

そこで

 

HowとWhatを使うと理由がわかりやすくなります。

What: 何を表現しているのか? 
(何の、どんな形なのか)

How:  どうやってやるのか? 
(道具の使い方、手の動かし方、進める順序など)

Whatが最初にあって、Howが出てくるのです。

 

作るもの、描くものの形【What】を知らなければ、いくら【How】を学んでも決してできるようにはならないのです。

 

なぜならば、Howは、作るもの、描くものの形をどうやって表現するかという【やり方】なのであり、根本の形を理解していなければ全く意味がないのです。

 

ひたすら絵を描けば、ひたすら造形すれば上手くなる! という根性論的な信念に基づいて多くの無駄な努力を費やしていたと書きましたが、

 

無駄な努力というのは、知識を得ないでする努力という事になります。

(例外もありますが、これは後ほどお話しします)

 

何を練習するにしても、まず知識を得て、それを表現する練習ということが大事になります。

 

練習=知識の表現

もしくは
インプットを消化してアウトプットする行為 

 

こう考えれば少し意識が変わるのではないかと思います。

 

4. 知識より大事なこと

前章は【知識】つまり【インプット】の大切さを解説しました。

 

しかしながら実際の人物などを真似るときに、バランスをとるという事が最重要条件になってくるのですが、実はこれには知識はあまり必要ありません。

見て真似れば良いのですから。

 

2次元の絵も3次元の造形も、バランスが取れていればちゃんとは見えます。

描けば描くほど、作れば作るほどバランスをとるのも早くなってくると思います。

 

だから初心者でも最初のうちは、闇雲に練習していてもある程度までは成長できます。

 

しかしそれはある程度までで、それはバランスを取る、つまり正しいプロポーションにするという能力だけだと思います。

 

それは最も重要な能力の一つなのですが、技術的にもっとリアルにしてみたいとなったときに、バランスを取れるだけでは必ず行き詰まる事になります。

 

そこで必要になってくるのが、真似るだけではない、知識の表現としての練習をする事なのです。

 

人の顔であったら、目玉はどんな形で、頭蓋骨のどこにどのように収まって、まぶたがどのようにかぶさって、とか、ほっぺたの下に骨があって、このような筋肉が通っていて、脂肪がこの辺にあって、などなど、、、

 

このような知識を持って人を観察すると、表面上に見えてくるものがまるっきり変わってきます。

 

闇雲に真似るのではなく、それらの構造を意識して、意識しながらその構造を繰り返しアウトプットする事によって、よりリアルで正確なものを作り上げる事ができてくるのです。

 

そのような知識が身についてくると、何も見ないでもある程度表現できるようにもなってきます。

 

知識を得るというインプット

練習するというアウトプットが強化される

インプットされた情報が定着していく

この状態を ”身に付く” と言います。

 

知識を持って練習するという経験を積む事によって、ただの知識が【経験知】 という知識に変わるのです。

 

勉強して知識を得たとしても、それを表現してみなければ、本当にわかっているとは言えないのです。

とりあえずは、知っているというだけで満足しない方がいいですね。

さらに知ってるだけで威張ったり、知らない人を馬鹿にしたりというのは問題外。

表現してみて出来ないのであれば、知っているとは到底言えないのです。

 

知っている = できる

という図式になるまで練習を積まないと、本当の意味で知っていることにはならないのです。

 

そんなこと知ってるよと軽く言わず、

勉強と練習を重ね、【経験知】を増やして本当の意味で出来る人になっていきましょう。

まとめ:

⚫︎常に本物、いいものを見てインプットする
⚫︎それらを理解しようとしながらアウトプットする
⚫︎練習する時間や日数を目標とせず、一つ一つ集中してアウトプットする

 

次回はデッサンに関してのお話です。


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